日本の戦国時代の有名な桶狭間の戦いの織田軍2000人←中国人「村の小競り合いレベルじゃん…どこが面白いの?」 中国の反応

日本の戦国時代は面白いと言われているが、有名な桶狭間の戦いでさえ、織田信長側には2000人しかいなかったらしいな・・・
それってただの村同士の小競り合いなんじゃないか?
無名の農民が戦場に引きずり込まれ、鍬を拾ったりしていたというが、考えてみればおかしな話である。
どこが面白いのか・・・
1. 名無しの中国人
桶狭間は斬首作戦ための奇襲だったんだが。
織田信長は数万人の隊列を組んで戦えたし、死を覚悟することなんてなかったよ。
2. 名無しの中国人
マメ知識をひとつ。
三国志で有名な合肥の戦いにおける張遼の兵力もそれくらいの数とされており、史実ではもっと少なかったんだが?
3. 名無しの中国人
織田信長が桶狭間で2千人(うち自軍は数百人)しか使えなかったからこそ、今川義元の首への奇襲は歴史に残る価値があった。
4. 名無しの中国人
日本の戦国時代に正規軍同士のまともな戦いはほとんどなく、兵力の数を議論することは無意味な話題だぞ。
5. 名無しの中国人
信長は普通の村人たちを率いていたわけではないからな。
6. 名無しの中国人
村の小競り合いというのはさすがに言い過ぎだろ・・・
市の小競り合いならまあ規模的に納得かな。
実際には、日本の戦国はかなり春秋に似ているよ。
そんなに熾烈でもないし死んだ人も多くない。
7. 名無しの中国人
ロシアとウクライナは1ヶ月戦っても4ケタ以上の死者を出していない。
これも村の小競り合いレベルじゃないか?
世界は村の小競り合いの何をそんなに気にしてるんだ?
8. 名無しの中国人
日本の戦国時代の軍役帳はかなり残っているよね。
数人の侍を連れた殿様、馬乗り侍、足軽、水夫、民衆、鉄砲隊などまではっきり見えるという。
9. 名無しの中国人
>>8
そうだな。
そしてもうひとつ重要な理由は、多くの武家が何百年も壊れることなく受け継がれてきたということだ。
私は謙信公の直臣を先祖に持つ日本人女性を知っているよ。
10. 名無しの中国人
古代日本の識字率は特に高かったので、このような資料の方が充実していたそうだな。
11. 名無しの中国人
清朝末期のいくつかの外征を見るだけでも、1万人を超える戦争はほとんどなかったようだな。
古代中国の統計は、実は戦った軍隊の数ではなく、動員された人の数なんだよ。
12. 名無しの中国人
それは職業軍人の数。
日本の戦争は農民の方が多い。
13. 名無しの中国人
後期の統計ではすべて兵隊とカウントしているよ。
古代の計算によれば、淮海戦役では60万の正規軍と40万の民兵、累計100万の労働者からの動員があったようだ。
14. 名無しの中国人
まあよく理解できるよ。
電信の発明以前は、人間の軍の戦闘命令は数千人程度をカバーする範囲のものが限界だったんだろう。
あまりにも大きな軍隊については事前に合意しない限り、臨時の伝令では前線の戦況が変わってしまった頃に到着するなんてことも当たり前だったからな。
15. 名無しの中国人
日本の戦国史に対する理解が狭すぎるよ。
結局、他国の歴史だから分からないのが普通だが、興味があれば、大阪冬の陣、夏の陣、関ヶ原の戦い、賤ヶ岳の戦いについて簡単に学べるはずだ。
これらの戦いは日本の歴史を変えた有名な合戦で、戦国時代は膨大な人力と物資を動員したものだ。
桶狭間の戦いでは今川家は2万5千から4万の兵力を動員し、数年後の壬申の乱では、明の朝鮮出兵の救援軍もほぼ同じ規模であったという。
16. 名無しの中国人
関ヶ原の戦いの参加人数の合計と明の宋津の戦いの参加人数の合計で中国と日本のどちらが多かったか検索してみろよ。
明の軍は最多の時(8万)でも日本軍の兵力(14万)に及ばなかったんだぞ。
17. 名無しの中国人
職業軍人の戦闘力は一般の軍隊の比ではなく、それを支える後方支援物資も数倍必要だった。
18. 名無しの中国人
くだらん。
どこの村が戦える2千人の精鋭兵を育てられるか?
大沢郷の蜂起には、老人と病人が900人弱もいたんだぞ。
19. 名無しの中国人
日本村の戦争?
問題は、豊臣秀吉が10万を超える兵力で朝鮮半島の明軍と戦い、日本軍は敗れ、やがて本国に撤退したが、明軍は大した戦果を挙げることなく、少なくとも日本軍本隊を全滅させることはなかったということだろうな。
20. 名無しの中国人
信長が桶狭間の戦いで少ない兵士しか連れてこなかったのは意図的で、斬首作戦を実行するために2千人の命知らずを選ぶという緻密な計画が立てられていたからだ。
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コメント一覧
中国のは非戦闘員合わせたものにさらに出まかせ掛け算した数。
となりの南なんとかとは違って
大身の大名は、討ち死にせず、名の知れた武将も朝鮮の不潔さによる風土病で亡くなった者がほとんどなんだよね
で、明はこれで傾き、ヌルハチがとどめを刺した
嘘をつくな嘘を。普通に朝鮮軍も明の援軍も撃破しとったわ。明の記録にさえそう書かれてる
単に侵攻中に秀吉が死んで政情不安になったのとその時点で切り取れてたのが
貧しい朝鮮半島のみで誰も欲しがらなかったから撤退しただけだ
日本軍が敗北したのに明が無血撤退なんて許す訳がなかろう
主力同士の碧蹄館の戦いで日本の小早川立花黒田等の主力が明軍を破ったろ
ここで明軍は負けたから武力で日本を朝鮮半島から追い出す事の不可能を悟って和平交渉に切り替えたんだよ
日本側の石田や小西も朝鮮での戦役とか無駄でしかないから帰りたがってたしな
その論法じゃ、官渡の戦いは曹操軍の兵の数でその規模が決まり、赤壁の戦いは孫劉連合軍の兵の数でその規模が決まってしまうわな
このスレが韓国で立ってたら、信長がいかに大したことがないかという内容で埋まってただろうね。
信長以前は自国領の農民を徴兵し田植えや稲刈り時期を避けて侵略してた
しかも農民が殺されると働き手がいなくなるので出来るだけ死者数が少なくなるよう
小競り合いの戦いが多かった
それに対して信長は傭兵を合戦に使うようになり時期関係なく侵略するようになり
その後の合戦では戦死者も増えていくことになる
職業軍人が増えていった時代
織田軍の奇襲が成功したから注目去れるのですよ
普通2万の軍では勝利が間違いなくきますよ
第二次世界大戦のときに紙切れのように死んだことになってる中国人さんが何かおっしゃっておいでだ
あの頃の織田は地方の弱小大名で、しかも桶狭間には奇襲用に選ばれた子飼いの親衛隊母衣衆だからね。
逆に中国人の指摘通り中国の数字はいつもの白髪三千丈、水増しだよね。
この「10倍以上の優勢な敵を奇襲で撃破した」ことで特筆される
中国人のスレ主はこの前提を無視して「織田軍の兵力は2千」というところだけ注目して
戦いを矮小化しようとしたが、他の中国人に論破された構図
ただまあ、中国の戦争は基本殲滅戦の総力戦だからなあ。農民も動員されるんで、兵力は大きいわな。日本だと武士団以外は戦場のわきで観戦してたりする。
10万vs10万とかあるけど指揮系統とかどうなってんねん。
1人で数千人の兵を押し返すエピソードとか嘘付けよと。
向こうの歴史板みたいなとこににわかが乗り込んでフルボッコって感じか
そんなこと抜きにして人口でホルホルって虚しくならんのかな
結構正確に把握してるな。
その辺は怪しいが、基本今と変わらん。小集団→中集団→大集団と細分化してそれぞれにリーダーを置き、旗や銅鑼、伝令なんかで動かしていくわけだ。
つまり桶狭間の戦いをチャイナの兵で換算すると、200万人の今川軍を10万人の織田軍が奇襲して討ち勝ったということになる。
まあ南京は嘘だけど中国人がそう言ってるってことは中国人からすれば可能と判断したってことだからな
いかに日本の武士でも一対五十で勝てるとは思えんので、日本の武士一人が、中国兵五十人のリーダークラスの強さだったと考えるべきではないかな?
桶狭間と、日本史そのものもだが、君ら基本的に自分らの国の歴史すら間違えてるよ
しかし中には興味深い意見もあるな
石高、つまり生産高だか、ここからの逆算って手もある
秀吉が太閤検地をひと通り完成させた時点で、日本全国総石高が大体1850万石だった
(現在の北海道と沖縄を含まず、その後毎年増減もある)
これに武家諸法度寛永令(発布は徳川3代家光の時代だが、作られたのは初代家康晩年)で出された、細かい兵役の決まりがある
徒士○人、槍○人、鉄砲○丁、玉薬こんだけ、馬、旗、、、といろいろ細かくならんでるんだが、ここから1石あたりの動員兵力の平均値を出した有名な計算式があって、これが100石あたり2.5-3人と出る
兵糧装備馬その他全て込みでの平均値だからこうなるんだが、1万石で250-300人動員するのが精一杯ってことだ
(このうち「戦国時代後期以降には高価な鉄砲と火薬が入る」が、それ以前ならもう少し費用を人間に割けるはず、しかしやはり限界値がある)
実際には秀吉当時は日本はゴールドラッシュ時代だから、もうちょい行けただろうが
仮に多めにみて、60万としても、当たり前だが60万全てを引き連れて外征はできない
治安維持、国内の警察に当たるもんまで武士が兼ねとるからだし、いくら周りを海に囲まれているからとは言え防御軍だっている
そしてこれは、中国においては遥かに重要な課題になる
中国において東側というのは海だから、「地の果て」であり、こっちには兵を割く必要がない
(中国が歴史的に水軍が弱いのはこのせいなんだが)
しかしそれ以外の三方、北、南、西には常に一定数の兵力を張り付かせる必要があった
国境線はアフォみたいに広く、仮にそれぞれ20万なら防衛軍だけで60万、さらにこれに中央の防御軍、そして動かす遠征軍と、ざっくり考えてもべらぼうな数字が必要になるんだが
兵力1万ならその5倍の人口がいるって話だが、これが明以降となると「後ろに5人」に増えた
もっと前の、たとえば秦の統一から前漢成立ぐらいの時には、最近の研究では「中国全体の人口が1500万-2000万人」と推定されてる
なので、計算上の総動員兵力は5で割って300万-400万人になるんだが、このうち常に動かせる兵力なんて、せいぜいが数分の一から十分の一となる
これも多目にみて、秦の統一当時で、5分の一で80万、10分の一で40万か
この時代にすでに日本の戦国時代とあまり話が変わらないことになる
実際に秀吉の唐入り当時、明軍は40万人を出して来たと両軍の記録にある(当然お互い数字は盛っているよ)
外征軍に数十万を出せるのだから、総動員兵力は下手すりゃその10倍ぐらいにはなるが、明当時の人口は6000万-6500万人だから(中国は記録がわりと細かく残ってる)、6で割ると総動員兵力は単純に1000万-1083万人ぐらいだな
清の時代、17世紀以降に中国は人口爆発して、それまでの数千万人時代から一気に3億人を突破する
秀吉の唐入りの16世紀当時、西洋の「古今未曾有の大戦」とか呼ばれた戦争ですらせいぜい3000対3000とかなんよ
世界史上の総動員兵力を、多いところだけ探しても、ローマ帝国最盛期で15万人、インドがナンダ朝の頃20万-30万人、モンゴル帝国最盛期で騎馬兵10万騎(これは騎馬兵のみとしては世界史上驚異的な数字)、オスマントルコで初期10万、後期は近代に入るけど500-600万ぐらいだ(トルコも国境線がアフォみたいに広いから、やはり縛りがある)
当時の人口なんてそんなもんだし、むしろ中国の人口が歴史的に頭おかしいんであって、逆に言えば、「世界史上、初めて中国とまともに戦える兵力を持った国」が日本なんだよ
しかも日本はただの寄せ集め兵でなくて、全員戦国生き残りのベテラン兵だからな
今川義元の首塚ならぬ胴塚がある場所と、毎年義元の幽霊が現れることで有名な場所は別なんだ
両方激戦地として伝わるけど、胴塚のある方は当時は山の上、幽霊の方は山の中なんだよなあ
どちらもなぜか、街道からだいぶ外れてるんだ
相手より数揃えたいから滅茶苦茶な徴兵するしそもそも人は畑から生えて来るし別に史実と乖離してるとは思わんな
あいつらの数字はどんどん大げさになるからな
家督を継いだ時は尾張国内だけでも敵だらけだった
桶狭間から22年後に死ぬまでいかに強大になったかを理解していないと
こんな感想になる
清国全軍が完敗したのを忘れたのか?
赤壁100万の軍勢w赤壁見に行ってこいよw
実際盛っています
歴史を自分勝手に改ざんするしか能がない浅ましい民族だからな、朝鮮人てのは
だから有名武将ですら三下クラスばかりで、だから三国志は中身がスッカスカのつまらない物語なんだろう。
現実的に何十万人もの戦闘員の激突のような戦いは、世界的にもそんなに多くない。誇張して伝わってるものが多いですね。
桶狭間で織田側が2000人もいたのだろうか。
現実的に何十万人もの戦闘員の激突のような戦いは、世界的にもそんなに多くない。誇張して伝わってるものが多いですね。
桶狭間で織田側が2000人もいたのだろうか。
今川方は3~4万人前後はいたらしいから、全体ではそれなりに大きい
中国が戦争に弱い理由がわかる
向こうの人の感覚から見たらしゃあないよな。
でも、日本1800万石から計算すると42万の兵隊が居て
国土は荊州(湖南省・湖北省)1州と同等でそれだけ用意できたのだから
その時代の密度的にはかなりのもんだと思うんだけどなあ。
武士団が一番細分化されていた時代は1000~2000の戦いが多かったけど
総合では40万人が国内で戦っていたし。
新興宗教の乱で犠牲者が何千万人とか、いちいち数字がエグイのよ
近代以前から、そんな歴史が溢れてる
日本以外の国は、相手国あるいは相手の村を壊滅させるまでやる。
若い女はGO○され、若くて元気な男はドレ○になるのが普通だが
日本の戦いは基本的に「武士」の戦いんだよ! 「無駄な」戦いはしない。
農民には手を出さないのが基本だ。
日本でも結構していて大阪の陣なんかは記録として結構残っているのだが。
今川3万は無いな。
でも、中国が言う話しは割り引いて聞かなければならない
中国だと2000人いれば話しは20万人に膨れ上がっているだろう
ってか村レベルでも殺し合いが盛んだったのかよ中国
そもそも南京事件(捏造)後の南京の中国人人口がなんでか知らないけど増えてる辺り中韓人の間では数字なんてその程度のモノだと思うんだけどw
中国にちゃんとした戦争が出来るとは思えない
南京でも中国の軍隊の司令官が兵隊を置き去りにして逃げたから
兵隊が軍服を脱いで、欧米人の神父や特派員が作った安全区に逃げ込んだから
ややこしい事が起こったんですよ、市民はそこに逃げ込みました(命が惜しいので当然です)軍服を脱いで逃げ込んだ兵隊はゲリラだから裁判なしで処刑できるとして捕虜にすべき兵隊もまとめて処刑したんでしょう、最大3万人くらいと言われてますがあくまで戦闘員の処刑です民間人は安全区にいたので誰も殺されてないし欧米人も報告してません、とにかく中国人はすぐ逃げるんです。
結局米国による日本敗戦でも関東軍自体は健在で、最後までシ・ナ大陸から旧日本軍を追い出せなかったんだっけ?
まあ昔からシ・ナ土人は数だけが頼りで、内容は大したことないからなあw
日本側も良いコメントがあるだけに残念。
中国人と韓国人の共通点、それはどちらも腰抜け!
歴史的伝統的に命の値段が安いからだろう
バッタみたいなもんかも
TOR荒らし対策で少しコメント制限中です。ご不便をおかけして申し訳ありません。