中国人「遣唐使で科挙制を学ばなかった日本は賢明だった」 中国の反応

遣唐使で科挙制を学ばなかった日本は賢明だった
唐の時代、日本は唐朝の様々な物や制度を学んで採用した。
しかし科挙制だけは採用しなかった。
この点から見ても日本は他国から学ぶことが上手だと思う。
科挙制は想像力を抑えて、記憶だけが得意な人材を量産してしまう制度だ。
この制度を通して量産された文官は、官職以外は何もできなかった。
千年以上続いた科挙制度は、中国に大きく悪い影響を与えてしまった。
科挙 -wikipedia-
科挙(かきょ、繁体字: 科舉; 簡体字: 科举; ピン音: kējǔ)とは、中国で598年~1905年、即ち隋から清の時代まで、約1300年も行われた官僚登用試験[1]である。
1. 名無しの中国人
これは科挙制度に対する公正な評価ではないね。
科挙制は封建社会において優れた人材を育成する大きな役に立ったんだよ。
その時代で世界で一番素晴らしい選抜制度だった。
貧乏でもお金持ちでも、同じように挑戦できて平等だった。
今の隠れた世襲にくらべたら全然平等だった。
それにたくさんの優れた人材も出たしね。
2. 名無しの中国人
日本は宦官制度も採用しなかったからな!
3. 名無しの中国人
日本人は賢いわ。
いろんな国のいいところを受けて自分の文化と融合させる。
時代に乗らなかったり価値を見出せなかったりする文化は日本人がいくら物好きでも、思い切って捨てていた。
本当に功利でものを選ぶ民族なんだよ。
4. 名無しの中国人
科挙文化はごみだ。
中国史の汚点だ。
5. 名無しの中国人
>>4
科挙制がごみ?
普通の人々が出世する唯一の道だったんだが。
それらから生まれた優れた人材は歴史の発展に大きな貢献をした。
日本が学ばないのは何か理由があったんじゃないの。
調べもしないで適当なことを書かないほうがいい。
6. 名無しの中国人
日本が学ばなかったのは中国の科挙制が良くなかったからではないんだよ。
以前と比べて、世襲、察举征辟制(漢代の制度)、九品中正(魏から隋初まで行われた官吏登用法)などより全然良い制度だった。
少なくとも普通の人々に平等に機会が与えられていた。
科挙は良い制度だ。
日本は学びたかっただろうけど、出来なかっただけだろうね。
7. 名無しの中国人
「将来の夢は何ですか?」と聞けば、ほとんどの人は「良い大学に行きたいです」と言う。
小さいときには、夢がそれぞれあったはずだ。
たとえば、俳優とか、科学者とか。
10年の勉強生活で今の自分が何をしたいのか?何をできるのか?
分らなくなってしまうんだよ・・・
8. 名無しの中国人
>>7
そんなこと言わないけど・・・
9. 名無しの中国人
日本に宦官制度がないのは、女性がある程度中国より自由だったからだよ。
10. 名無しの中国人
中国では昔から、1人が役人になると家族の全員はもちろん、近所の人々まで優遇される。
科挙の制度でも同様だが、家を継ぐ者が試験に受からなければその家族の繁栄も終了した。
11. 名無しの中国人
科挙は普通の人々に出世できる機会を作った。
これこそ中華文明が世界文明を超える原因だ!
12. 名無しの中国人
日本人は外来文化に対して、良いのか悪いのかの判別が上手いから。
13. 名無しの中国人
科挙制度は中国の古代からのいろんな制度より優れていたと思うよ。
14. 名無しの中国人
現在の中国の選挙制度より、科挙は合理的だと思う。
能力の無い者は試験に合格できなかったからね。
15. 名無しの中国人
厳しい試験がちゃんとあるだけ、今よりは良いと思う。
16. 名無しの中国人
>>15
政治とは関係の無い内容の試験だったんだぞ?
17. 名無しの中国人
お前らに合格は無理だから。
18. 名無しの中国人
今の詰め込み教育は、科挙制度の頃と同じなんじゃないのか?
19. 名無しの中国人
むしろ科挙制度は現代にあるべきなんじゃないか?
20. 名無しの中国人
みんなもっと本を読め。
本を読めば心も頭もよくなるぞ。
21. 名無しの中国人
日本人は頭脳明晰だからね。
コナンを見たら分かる。
22. 名無しの中国人
日本は科挙の代わりにどうやってたんだろう・・・
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コメント一覧
科挙に否定的な人は暗記しかない試験内容を非難している
かみあってない
中国の変態文化を学ばなかった遣唐使に感謝w
少なとくも貴族と大衆が完全に分離されていた当時の日本では受け入れられない制度だったのは確か
まあ、1000年前のお話しだしなw
合格して庶民から貴族になった人もいる。
江戸時代くらいまで残ってたらしいけど。
貴族たちが平民を引き上げたくなかったからなんですがそれは
平民も貴族さまと対等になれるなんて想像もしてない
今だって名目上は平等だが官僚さま、議員さまの国だぞ
中国と違って平等を求める奴がいないの。
作り話と現実をごっちゃにしたらいけないよw
科挙になるためにはそれこそ人生の全てを学問に専念しなければならないレベルで過酷だった
そんな生活環境を用意できたのは富裕層や貴族、官僚といった家の者がほとんど
科挙の子息が科挙なんてのも当然の話
中には何代もかけて科挙を排出している家なんてのもゴロゴロある
平民にもチャレンジできるなんてのは建前
こういった最初からエリートコースに乗っている者達が独占していたというのが現実
王朝交代のたびに貴族化して政治に口出ししてくる奴が多い。
だから皇帝は自分に忠実な官僚を採用して働かせようとした。
日本も似たような制度は一応作ったが世襲貴族が強くて定着しなかった。
地方政権が存在する時代も長かったし。
でもまあ出世チャンスが庶民階級にも与えられた点ではよかったんじゃないか>科挙
でも宦官と纏足はマジで悪習の極み
今でも裏口入学の伝統残ってるし。
それでもコネ無しでも天才は受かるし出る所教えられてても覚えられないような馬鹿は排除出来た分完全世襲制よりは優れた制度だよね。
中央からの命令書と地方からの報告書のフォーマットを統一する仕組みが必要だったんだぞ
その統一フォーマットに採用されたのが漢文で、これを扱う役人を選抜した技能試験が科挙
そんな社会がいいんじゃないのかね?
そういう人がノーベル賞もとるんだろうし。
そして「お母さん」というような女の子がいつまでも現れる日本であって欲しいものだ。
地域によって言葉が違う中国では、紙の上の共通言語である漢文が何より大事だった
しかし、漢文というのは自在に使いこなすのは非常に難しく四書五経などを丸暗記しないといけなかった
だから科挙が必要だったんだよ
馬鹿じゃねーの
平安時代の大学制度を知らねーのかよ
平民が成りあがれたんだよ
それまでの既得権全ての破壊だから
でも内容が完全に文系だもんで
ぶっちゃけ完全に文明を停滞させた
やはり害の方が大きかったように思う
この制度が廃れた原因はシステムにはない。
今はそれが覆ったのかね?
問題は科挙の絶対性や硬直性。コレさえ通れば出世とかな。
日本でも類する物は有ったけれど、実用的・現実的なものが好まれた。
西洋の学問も取り入れたし。
江戸期に一時的に行われた科挙っぽいヤツの首位とったヤツは、長崎奉行とかやってる。
いち学問って扱いだしな。これも良かった。
>科挙は普通の人々に出世できる機会を作った。
>これこそ中華文明が世界文明を超える原因だ!
感動したw
じゃ、今こそ中国は科挙だねw
今の中国人は、漢文なんてさっぱり読めないし、難しさも分かってないからな
中国現代文、いわゆる中文が開発されて漢文から解放されたから
漢文というのは完璧に使いこなすのが非常に難しい
漢文には文法というものがない
ではどうするのかと言うと、過去の古典の前例に従って読んだり書いたりするしかない
四書五経の中のこの文はこういう意味だという、そういう前例を用いて書く
だから、古典が全部頭に入っていないと完璧に使いこなせない
しかしそれが出来ないと国家運営ができない
だから漢文のスペシャリストを養成する必要があった
何も平民を出世させるためという理由で出来た制度ではない
「科挙」じゃなく「食客」の方だと思うんだけど
日本でも東大出よりは、他の大学出の方が優秀だったりするよね
東大出の宮沢喜一が戦後最低の首相だと思ってるからだけど
あ、鳩山は論外でw
日本は中国流宮廷文化の時代から武士と仏の時代になっとるがな。
自称父親と言っている奴が異例の早さで来日
しかも中国総領事館と行方を捜すとの事
警察では無く中国総領事館と行方を捜すってかなり異常な事件
そもそも今現在行方不明と言うだけで事件性も無いのに
まあもし見つかったら連れて帰って中国で粛清されるんだろうな
福建省出身の横浜で変死した自称姉妹の売春婦の件も死体遺棄事件も
裏が怪しすぎて世間はドン引きしているからな
今の日本にしても、入試改革と称して共通一次~センター試験導入と
その後の泥縄修正・・・結局「内容において」より良い教育を行うという
目的は達せずじまい
まあ、頭にコンクリート詰まってる役人&権力欲に塗れた教育界の重鎮なる
輩の考える制度だからまともなものが出てくるわけはないんだが
試験は努力度をみるのはいいが、能力とかは別の話
纏足が広まったのは北宋(960年 - 1127年)からだそう。
日本は894年に遣唐使の派遣を止めているんで、纏足を取り入れるわけがない。
馬鹿は黙ってろ
平民?
貴族の子弟が平民か?
ドアホ
そもそも科挙は当時の中国の都合で生まれたものだからそのまま運用できるわけが無いのだ
唐の律令制つったって内実は日本と唐では差がありすぎてそのまま取り入れられるものではなかったし、律令という言葉だけで並列に見るのは大いに誤りである
カンニングの常態化と手法の高度化
賄賂・収賄の平民社会への普及と普遍化
悪事に対する心理的ハードルの低下にしか寄与してないだろ、あれ。
科挙制度の問題点は、価値観の単純化にこそある
下から成り上がれる制度とはいうが、科挙に受かるためには、最低でも子供に十分な教育を受けさせられる裕福さが当然必要になる
理想としては、裕福で教育さえ受けられれば、上に行けるチャンスとなる
現実には、科挙に受かった人間とその一族は優秀な人材であり、その他は愚昧とする社会になる
人が何を目指すかは、各々が決めればいい
そこに身分制度があったとしても、それぞれの道で頭角を現す人材が出てくる
が、科挙は宗教である
尊い人材の価値が、科挙に受かった人(とその一族)という一択になる
その結果、韓国では職人が水車すら作れず、庶民が文化を残せない国になってしまった
科挙を行った中国や韓国では、日本以上に受験戦争が厳しくなってしまった
特定の評価がなければ価値が認められず、価値を生み出す努力が否定され、価値を生み出すことが難しい国になってしまった
そこが一番の問題点だと思う
日本は科挙を受け入れなくて本当に良かった
明清以降だと常態化っつったってばれたら連座で処刑やからそこまで誰しもがやってたわけじゃないと思うで、まあ不正自体はあったろうけど不正対策も発達してたし不正し放題というわけでもない、すげー不正対策厳重だからね、むしろ今の日本より厳しいぐらいだ。
そして前近代における収賄は必ずしも悪ではないのだ、要するにお上の眼の届かないサービスを円滑に運用する手段であったわけだな、近代法治国家とはそもそも感覚が違う
雍正帝はその辺改革しようと養廉銀制度などつくりもしたが
また賄賂と科挙を結びつけるのは甚だ牽強付会に過ぎる、科挙は一人に金払えば及第するものでもないから賄賂程度ではどうにもならんのだ
科挙なんか導入したら手に入れた権力を簡単に失ってしまう。
伴善男も菅原道真も賢いが故に警戒されて潰されたわけだし。
ちなみに平安時代の政治は決してクリーンではなかった。
官職売買も賄賂も普通に存在していた。
横領がばれそうになると倉庫が火事になる事件も多発していた。
大陸や半島と違わないくらい腐敗していた。
日本の政治がクリーンになるのは鎌倉時代になってから。
鎌倉武士も権力争いをしていたし無慈悲で残酷だったけど
同時に質素でとてもまじめだった。
幕府も御家人の領地争いの裁定を賄賂で決めるようなことはしなかった。
うんこみたいな制度やぞ
オイオイ。大丈夫か頭
日本も科挙を部分導入してるぞ。平安時代の実務を担当する下級官人選抜は科挙をベースにしてる
中学生の教科書レベルだぞ
実験が武士に移るとともに制度は崩壊したけどな
この3つのコメントがポイントだと思う。
なんだか本スレの中国人は科挙を身分にとらわれずに、
優秀な人材を採用する制度だと考えているが、そういうわけじゃない。
日本の左翼もそんなこと言っているけどさ。
中国大陸は広くて、話し言葉が異なるから、漢文がないと分裂してしまう。
だから、漢文という特殊な記述法を扱うことができる技能者が
統一を続けるために必要だったのだ。
言葉は悪いが、偏った能力の持ち主で、これを優秀と呼ぶかというと違うんじゃね?
そして、科挙に合格するには、かなり極端なお勉強ライフを送るだけの
財力のある一族に生まれてくる必要がある。
そこらの庶民にが目指せるものではない。
科挙に受かって官吏が生まれれば、一族でその人にぶら下がるのだ。
徳川家康のような武人は尊敬されるが石田三成のような文官はなかなか尊敬されにくいのだ
中国や朝鮮は文官ばかり優遇し武官を蔑ろにした
その結果、常に北方騎馬民族にゆすりたかりを常態的にウケルようになり
しまいには王朝までも支配されるようになっていった
発音が違うので正確に漢文を読める人材が必要だった
違うぞ武官優位だとすぐに戦乱に明け暮れるから中央集権の文官統治に切り替えたんだぞ
元々常に北方民族との軋轢はあったのだ、文官統治時でも政権さえ安定していれば北方もそこまで危険視する必要は無かった、対して軍事政権の寿命は概して短いのだ
唐も安史の乱以降は都周辺以外は統治できずに実質小国乱立状態だったわけだし
中華民国は内戦続きと列強と日本に好き放題やられ放題でまったく国として機能してなかった
中国のここ1200年間のほとんどの時代は北方騎馬民族と列強に征服され続けただけの歴史しかないのだ
宋は統一王朝ではなく遼や金、モンゴルに国土の一部、または大部分を支配されてたし、毎年多額の金を払うことでかろうじて生き延びただけ
科挙で中国は弱くなったというのが歴史的事実である
別に漢民族に限定する必要ないがな、んで確かに宋は遼金モンゴルに圧迫されてはいたが
その経済力は前王朝とは比較にならないレベルで発達したといえる
じゃあその圧迫した遼金西夏モンゴルはどうなったかという大版図を統治しきれず
主権者交代の失敗で短い時間で消えていったのだ
そして明も多分に元の影響を受けた政権ではあるのだがやはり文官統治で永続している
続く清も色々独自政策は行っている物の結局は中国式の文官統治政策で当時世界最高の繁栄を謳歌したといえる。
弱くなったというのは必ずしも全否定はされないがそれ以上に統治上の必要から軍事力を抑えざるを得なかったというのが正しい
世襲が悪いと言ってるんじゃなく、それぞれの職に誇りを持ってたんじゃないかな
科挙で選んでいたのは、漢文による行政文書作成という特殊な技能を身につけた人だった。
漢文は話し言葉とは別物で、文法もなければ、動詞や名詞と言った品詞もない。
どうやって意図を伝えるのかというと、解釈が定まっている古典を利用をするのだ。
そんなわけで彼らは四書五経を丸暗記したのであって、哲学を吸収していたのではない。
だから、科挙に受かるための勉強は「優れた人材を育成する」ものなんかではなかった。
昔も今もあの国は血縁と地縁 コネの国だよ
そういう繋がりがなかったからこそ元朝というかモンゴル人は科挙を廃止できたの
そして科挙を廃止したからこそ 学問だけで食っていけた人間が大量に失業して 食っていく為に 講談なんぞを書いた事で大衆文化が花開く事になった
三国志演戯などが生まれたのはこういう時代の背景があった
韓国やベトナム辺りは取り入れた宦官を入れなかったのがマジですごい。
あれだけ発展具合の差を見て都市計画から制度から取り入れたのに
頑としてはねつけてるんだもんなあ。マジビビる
琉球は取り入れてたのに?
ヤフー知恵袋から
「平安時代の日本にも科挙に似た官吏登用試験がありましたか?」
>律令官制は中国の官僚制度の模倣ですから、建前論としては中国式の科挙を実施しなければならないという考えがあり、平安時代には、大学寮で紀伝道を学んだ学生を対象とした試験が行われていました。
>受験資格者は大学寮の学生に限られますから、受験できたのは貴族の子弟だけで、科挙のように庶民にまで門は開かれていません。
ところが明治後は急速に近代化する必要性から科挙性を採り入れざるを得なかった.公務員、教員、士官候補生すべてだ.ただ日露戦争までの軍は西郷従道や東郷平八郎のような実戦経験者と山本権兵衛、秋山真之のような海兵出身の秀才官僚とで役割分担していたが、それ以降になると士官以上が受験秀才ばかりになり、陸軍も海軍も秀才官僚ばかりになって敗戦に至る.官僚が実質上の決定権を持つ国は滅びてしまう.
こういうとアメリカのアナポリスなども秀才ばかりではないか?と反論されそうだが.アメリカやイギリスのようなアングロサクソン国家は単純な成績主義ではなく、実力主義が徹底している.日本は戦争中に作戦の失敗を追求された指揮官や参謀はほとんどいなかったが、アメリカは必ずニミッツとスプルーアンスのような異質の指揮官や参謀を組み合わせ、激論を鬭合わせりようにした、また必要に応じて大統領府が軍の人事に介入して罷免や降格を行う.つまり役割分担と責任分担が機能する仕組みを持っていた.だから同じ過ちを繰り返す可能性が日本軍より遙かに少なかったと言える.
今の日本では官僚の抵抗により安倍内閣が窮地に陥っているが、これも安倍内閣が初めて強力な内閣主導型の政策や人事を打ち出したことと関係がある.官僚のリークにより大臣が罷免され、政権与党が選挙に負けるような社会は停滞から逃れることは出来ない.
しかし、試験内容が儒教に偏ったのが失敗だろう。
儒教的価値観しか育たず、文明に限界が生まれてしまった。
あと、多大な勉強時間や資料を確保できたのは、やはり一部の富裕層だけだった。
問題点がなかったかというのは、また別問題だからなあ。
近代において充分に対応できなかったという結果が出てる。
官僚を平民から採用するという点は画期的だったが、実際は特定富裕層だけがその恩恵に授かった。
現在の中国では教育が充実し、全国共通語として「普通話」を教えているので科挙は不要だが、かつての科挙試験がコネや賄賂で歪んだように、今もあらゆる試験で不正が横行している。
古典ガチガチ至高主義になってるから、その概念を超える思想家も生まれにくいという
古代文明の到達点であり限界点であったって所か
鳥居ヨウゾウが蛮社の獄を起こしたりしている。
.
キリスト教社会でも、中華圏でも、中世的なものを改革したり
有害な部分を切り離せない社会は、だいたい停滞している。
.
下手に制度や宗教や思想が、それなりに立派だったり画期的だったりすると
それに依存しすぎて、変革の機会を失うな。
.
昔は良かったかもしれないが、それに胡坐をかきすぎた為に失敗した。
優秀ならインド人でもユダヤ人でもトップを任せるが
ガバメントは譲らない
それに難しすぎて、完全に同じタイプの人間だけを振り分けるザルになっちゃってたんじゃないのかな。科挙に合格出来る人に向いた職業はあっただろうけど、全員それにしちゃ駄目だと思うわ。尋常じゃない努力してせっかく官僚になっても、全員が重要な仕事が出来る訳でもなし、やる気をなくす気持ちも分かる。
現代で言うならイスラム原理主義諸国なども似たような問題を抱えてると言えよう
合格して官職に就いた者の一族郎党が国に集りにくる慣習がなければな!
優秀な人間が誰も彼も同じところを目指すというのは社会にとって健全じゃない。
優秀な農民や優秀な大工など、優秀な人がどんな階層にもいるからこそ花開く文化もあるし、その優秀さを認める社会にもなる。
身分制は個人にとっては選択肢を狭める弊害であるが、社会にとっては利点になることもある。
あと、科挙は、優秀な人間をピックアップすることを建前として生まれた制度であって、社会の平等性を担保するために生まれた制度じゃないだろ。結果として平等な社会はおろか機会の平等にもほど遠い制度だった。
地方分権、委任統治状態だと官僚は意味ないからねえ
だから前川みたいな害悪が出る
日本の官僚にもおかしなのが多いだろう。
試験内容を勉強できる環境を整えるにあたって必然的に支配階層や富裕層に有利なるような制度なので
結果的に家柄・人脈・資金力のない人間が合格する割合はすごく低くなっていった。
という目的なら科挙は十分理にかなった、というかかなり優れた制度だと思うぞ。
しかし、日本には大王を豪族が支えるという慣習がすでに定着していたため、国柄に合わないので吸収しなかっただけ。
19世紀以降の歴史だけ見れば科挙制度は中国の発展の足を引っ張ってきたように見えるかもしれんが、
トータルで見れば素晴らしい貢献をしとるだろ。
要は制度それ自体じゃなく、制度を人間が使いこなせるかどうかの問題。
イギリスがアヘン戦争後に取り入れて、
逆輸入するように日本も西欧の制度を取り入れる時に取り入れてるよ。
それまで、日本もヨーロッパも、
武士の子は武士、騎士の子は騎士、農民は農民と世襲制だった。
そうならないのは問題が大きいからさ
そしてその問題を現代人が処理できないからだ
過去に廃れた制度には必ず致命的な欠陥が含まれている
現代人はその致命的な欠陥を無視してるから
現代の社会システムを許容できるのさ
すぐれた制度だから世界中に取り入れられ今尚試験制度ってものが通用してるんだぞ
科挙は中身はともかくその性質は今尚世界中で活躍している
科挙制度に組み込まれたのが、科学では無く儒教だったのが核心的に良くなかった、まあこれは東洋全てに通じることだけど。
それは単純に支配体制の問題やとおもうで
中国で最も人民が身分に縛られたのは漢の崩壊から唐の崩壊頃の中世だから
完全に科挙による支配構造が定まった宋代はむしろ血筋による支配体制が弱まり士大夫という新たな階級が力をつけ自由と創造性が花開いた時期でもある
そこから中国の停滞が始まったとも言えるのが皮肉と言えば皮肉だけど
人間の魂について述べよみたいなの
そんなの答えがあるのかよって思った記憶
前文科省の 前川君である
普通の人は こんなオカマ と感じるが それが中央の役人そのものである
キモイ
科挙導入したぞ。遣唐使廃止した、菅原道真は日本式の科挙の最優等生。
遣唐使はそうした優等生が選ばれるんで、無駄死にの多い遣唐使に送るのはリスクが高かったんだよ。まぁ、道真の頃は、遣唐使も形骸化してたんだけど、復活させようって動きあったのを完全廃止。道真は科挙の優秀者を政治の中枢で働かせたかったんだろうけど、道真自身が藤原氏に政争で敗れて、科挙制度もぽしゃると。
科挙に似た制度は江戸時代に復活。幕府・藩単位だけどな。支那との違いは人材登用法が科挙一本じゃなく(たとえば私塾の優等生とか)、語学・理数系科目もあった藩もあるところかね。有名なのは佐賀藩だけど。大隈八郎とかは、そこで最優等生だったけど、そういう科挙式教育に批判的で、後に早稲田大学創立するって歴史の流れもあったりする。
コイツを改良して大学制度を附加し身分制度によらない教育&登用制度として大々的に採用したのがフランス(ナポレオン)。
それを欧州各国が真似して日本も輸入して旧帝国大学その他を造った。
各種問題点を指摘されながらもコレより有用な人材育成・登用制度がないので、民間企業すらがコレに従って人(特に社会経験のない新人)を採用するようになった。
なんだかんだで科挙は1000年以上続く良い制度だよ。繰り返すが問題はありまくり。特に独創的な人間をスポイルしかねないのが最初から最大の問題(相当初期に中国人が指摘している)。近代受験制度は教育兼研究機関である大学制度と併せることにより軽減はしてるんだけどね。
しかも、その儒教で論戦に勝てるならともかく、副島種臣(彼も佐賀流の科挙の大秀才ではあるが)なんかに科挙の秀才が論破されまくって、各国と修好条規締結結ばされんだから、もう何の役にもたってない。科挙のおかげで「儒学」の実証研究の分野で完全に後行の日本に差つけられてんだよ。
あと、科挙の欠点は、公の精神が育たないことだな。殿試を通じて皇帝に対しては忠誠心もつんだけど、逆に科挙さえ行って官職と食い扶持くれれば、異民族の皇帝でも気にしないってことで、あっさり満洲人の支配受け入れるとかな。
当時の識字率や中国の言語の地域差の問題を
中央のフォーマットに乗った共通のプロトコルでやり取りできるようにすることが最優先の課題だったからだし
中国に必要な統治の手段として時代を考えればすごいと思うよ
問題は合格者の権限の際限のなさと利益誘導が当たり前過ぎた所っていう合格後の運用に関する部分じゃないの?
それが千年続けばどれだけ腐るか考えただけでも恐ろしいし
鎌倉幕府の誕生以降は、武士という形で貴族でないものでも政治中枢に到達できたし、
応仁の乱と戦国時代は、階級固定化や財産の偏重を洗いざらいぶっ壊し、下剋上世界を生み出した。
江戸時代以降は、寺子屋を始めとする教育の底上げが著しく、平民出身者が様々な場面で活躍した。
科挙を導入しなかったのか、する必要が無かったのかはわからないが、
とりあえず、平民が成り上がれる仕組みはどの時代にもあった。
さすがにその比較は無理がある、何故ならそれは基本的に階層が別れた上での多少の移動もありますよ、というだけの事だから
科挙というか中国の官僚制は役職の上下はあるが基本的に絶対上位者は皇帝のみであとは等しく臣民という立場
だよねぇ。
そもそも当時の平民が科挙に受かるだけの書物や、知識を手に入れる事が出来たとは思えない。
だから日本の科挙も原則貴族が対象だった。ただ、当時の記録として受験資格得られる大学寮に庶民が入学していると言う事実が一応記されているらしいが。かなり特例なんだろうけどな。
まぁ、いずれにせよ日本も支那も当時の経済状況で庶民が子弟に実生活の糞の役にも立たない学問やらせる余裕なんてあるかって話だよ。そもそも日本で科挙が廃れた理由の一つが、氏族単位で大学別曹が作られて、財政援助や私塾教育の点で貴族間で大きな格差が生じたことなわけで。まして庶民がどうにかなるもんじゃねーわな。受験資格無制限にしたところで意味がないってのが実情だろう。
日本だったら、そこそこ余裕のある庶民が高等教育受けられるのは江戸時代に入ってからだろう。最上徳内とかは貧農出身で旗本にまで大出世してるけど。
李白は商人の家系だからな、ただし受験資格そのものはそこまで狭い物ではないぞ
名目上は大抵の人間が受験できる、日本の貴族が対象というのとは理念が全く違う
何故なら当時の日本は貴族の台頭期であって完全にその体制に沿うような代物であったが
当時の唐は南北朝以来の軍閥貴族の力を削ぐためにこそ科挙を利用したのだから
宋代の士大夫となるとこれは完全に貴族ではなくなるし世襲もなくなる
故に宰相の子孫でも三代下れば没落して見る影もなくなるという事がままあったのだ
貴族だけと較べれば差が比較にならない程門戸は開かれてる
更に言えば日本のそれは精々が下級貴族が中級貴族になれるといった程度のもので九品官人法とやってる事は大して変わらん
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