中国人「文禄・慶長の役って秀吉軍が追い返されたみたいになってるけど」 中国の反応

文禄・慶長の役って秀吉軍が追い返されたみたいになってるけど
実際は日本の火縄銃の圧倒的火力に朝鮮軍が蹂躙されたんだよな。
1. 名無しの中国人
これはマジだよ。
当時の日本の火縄銃のレベルはかなり高いし、三段攻撃も発明してるからね。
2. 名無しの中国人
もし騎兵が強かったら死んでたのは日本だよ。
騎兵の闘志が弱くなけりゃ所詮火縄銃では騎兵には敵わない。
3. 名無しの中国人
>>2
騎兵が強かったらって・・・
じゃあ長篠の戦で勝ってたのは織田信長じゃなくて武田信玄になるな。
4. 名無しの中国人
長篠の戦のときには信玄がすでに死んでいて、大勢の人を引き付けるには力不足の武田勝頼が兵を率いていた。
相手が信長家康連合軍だったら負けるのは当然だ
5. 名無しの中国人
日露戦争の中の多くの戦いはちょっとの差で勝負が決まってるんだよね。
機関銃が大量に出てくる前の時代の戦いは気合いでだいたい決まる。
6. 名無しの中国人
人数も重要だけど、当時は既に火器の重要度が高かったんだぞ。
7. 名無しの中国人
この戦術をもっと効率よく使って普及させたのは確かに日本だ。
火縄銃の三段攻撃は確か信長が始めて、そのあと雑賀孫市がもっとすごいなんか戦法生み出したはず。
だから織田信長は10年西へ征伐しても伊勢半島にはいかなかった
8. 名無しの中国人
>>7
三段攻撃は日本が発明したかどうかはまだ検証中だな。
三段攻撃も今いろんなバージョンがあるし。
9. 名無しの中国人
三段攻撃は沐英(明初の軍人)が発明したんだぞ!
10. 名無しの中国人
朝鮮騎兵の装備が雑魚すぎるだろ。
鎧着てるのは少しだけで、ほかの人はみんな布きれだったじゃないか。
11. 名無しの中国人
>>10
明も日本もそんなに鎧は着なかったんだよ。
大量の重装騎兵がいたのは当時の世界ではオスマンとフランスくらいだ。
12. 名無しの中国人
フランスの重装騎兵なら日本式方陣を破れるな!
13. 名無しの中国人
韓国人でマシなのは李舜臣くらいだ。
彼の戦績は戦神にふさわしい。
14. 名無しの中国人
>>13
確かに戦神だな。
戦役の記録全部読んだけど、奇襲、埋伏、地理・潮の満ち引きを利用した臨機応変の戦術を巧みに利用した日本にはなかなかいない優秀な指揮官であり、勇猛な将軍だ。
15. 名無しの中国人
朝鮮皇室は二股しようとしてオオカミを招き入れた。
おかげで大清国は酷い攻撃を受けた。
日本が最終的に朝鮮皇室を滅ぼしたのは、因果応報としかいえない。
16. 名無しの中国人
火縄銃は勝因のうちの一つに過ぎないかもしれないんだよ。
長篠の戦とかについて百度百科(中国のウィキペディアみたいな)の描写と分析は信ぴょう性あると思う。
何回も自分の軍隊に危険な目に合わせるバカな将軍はいないし、その当時の火縄銃もそんなに強くはない。
17. 名無しの中国人
>>16
集中攻撃するとやばいよ。
特に当時の歩兵騎兵が相手に向かっていってるときとかに一斉乱射したら威力はすごい。
18. 名無しの中国人
>>17
だからこういう時は集団行動じゃなくて戦闘力をばらけたほうがいいんだよね。
本当の名将はこんなバカな方法で何回も死にに行くような真似はしない。
三段攻撃終わった後に次の攻撃までかかる時間は?
両軍の間隔は?
騎兵の進行速度は?
しかも銃の中の火薬はその間ちゃんともつかどうかもわからないからね。
19. 名無しの中国人
>>18
三段攻撃は三回やったら終わりじゃなくて、三段の兵士が途切れずに銃攻撃するんだよ。
同時期に明もヨーロッパも実践してたっつーの。
20. 名無しの中国人
日本の火器は織田信長のおかげで当時のアジア各国のレベルをはるかに超えてたのは事実。
21. 名無しの中国人
>>20
でも日本軍は大砲を持ってなかったんだぞ?
当時は火縄銃はまだマシかもしれなかったけど、他の武器は・・・
10万人以上いるのに数万人の明軍にも手こずるとか笑える。
幻想が抱けるのは戦国ゲームにドハマりの厨坊くらいだよ。
22. 名無しの中国人
信長ってどんな新型鉄砲を開発したんだ?
23. 名無しの中国人
>>22
織田信長の発展は種子島を広範囲に日本軍に適用しただけで特に新しいのを開発したわけじゃないよ。
でも日本最強だった武田騎兵隊を破るときに新しい戦術を作ったから、それで有名なんだよ。
当時火打ち石式の銃を発明した国家でさえ思いつかなかったし、改良されたやつも1,2人しか殺せないのに新しい戦術のおかげでおそらく何万人も一斉に死んだはずだよ。
24. 名無しの中国人
>>23
まず日本がその銃を選んだのは資源が少ないのを自覚していたからだ。
明がフランキ砲を選んだのは、とにかくでかいやつが自分の国にふさわしいと思ったからじゃないかな。
25. 名無しの中国人
>>24
日本が戦争始めたときはまだ明は準備できてなかったし、万歴帝が徴兵したのは日本軍がアルグン川まで攻めてきてからなんだよ。
でも最終的に明に侵攻してきた軍隊は全滅して和解が上手くいかなくなったから秀吉は釜山から北に向かって、当時は中元と北方の軍隊を朝鮮に持ってって引き分けになったんだ。
26. 名無しの中国人
明の時期の朝鮮は確かに名馬の産地だし、毎年明に何百匹もの名馬を朝貢してた。
でもいい馬があるからって騎兵だけに頼って兵法も学ばない奴は負け決定だったんだよ。
27. 名無しの中国人
日本の鉄砲ってポルトガルから来たんだっけ?
長篠の戦で信長は火器の強さを証明した。
戦国末期の兵士の素質とか武器の強さと戦術を見れば棒子には簡単に勝てると思うね。
もっと海外の反応を見に行く
海外の反応アンテナ
コメント一覧
大きな戦闘が発生するのは中国軍(明)が進軍してきてからですし、外交交渉もすべて中国(明)と行われていますし、豊臣秀吉も軍事作戦を「唐入り(中国侵攻)」と呼んでいます。
文禄・慶長の役を「朝鮮出兵」と呼ぶ学者もいますが、実際の朝鮮半島は単なる進軍ルートであり、朝鮮軍は脇役にすぎません。
では、日本(豊臣)と中国(明)による戦争全体の状況を見てみましょう。
よく「文禄・慶長の役とは、誇大妄想にとりつかれた豊臣秀吉が起こした勝算なき遠征だった」と評価する歴史家がいます。
結果から見れば、確かに何も得るものなかったのは事実です。
しかし、誇大妄想とか、勝算なしとか言うほどだったのでしょうか?
よく「中国軍(明)は優れた大砲を有していたので、日本軍(豊臣)に勝ち目はなかった」と誤解している人がいますが、それは事実ではありません。
戦争初期において、城を守る日本軍(豊臣)が、中国軍(明)に大砲で攻撃され、城を捨てて脱出したのは事実です。
しかし、それは占領した朝鮮の城には、ほとんど大砲防衛力がなかったためです。
日本軍(豊臣)はすぐに対抗手段を考え、多くの大砲を用意し、大砲防衛力を有する新拠点も築城しています。
まあ、この城の築城中に中国軍(明)に包囲されて大ピンチになるわけですが、最終的には応援にかけつけた日本軍(豊臣)が包囲していた中国軍(明)をけちらしていますので、結果オーライです。
そして新拠点も完成するわけで、日本は大砲防衛力という弱点を克服しています。
つまり、「日本軍(豊臣)に勝ち目はなかった」というのは誤りです。
それどころか、「日本軍(豊臣)は中国軍(明)よりも圧倒的に強かった」というのが事実です。
当時の東アジアの秩序体制の頂点にあった中国軍(明)にとって、日本軍(豊臣)は格下です。
しかも総司令官として出陣したのは、当時の中国(明)で最高ランクの武将と称された李如松であり、国内では「余裕の勝利だろう」という前評判でした。
中国軍(明)の初戦は順調であり、朝鮮の城を占拠していた日本軍(豊臣)を大砲で追い払い、「さあ追撃だ」だと勢いづきます。
しかし、中国軍(明)の悪夢はそこからでした。
李如松が誇る子飼いの兵士5万で野戦に挑んだところ、まさかの敗退をしてしまいます。
日本軍(豊臣)の鉄砲が強力だったというのもありますが、格下の反乱軍とばかり戦っていた李如松と、血で血を洗うような戦いで揉まれ続けた日本軍(豊臣)の武将達との経験差が大きいのでしょう。
あわや李如松が捕えられるところまで崩れたというのですから、まさに中国軍(明)の大敗です。
さらに、日本は新拠点を築城し、大砲力も強化し、着々と中国本国への進軍準備を進めていきます。
中国軍(明)も無策でいるはずがなく、新拠点築城を妨害しようと包囲しますが、失敗に終わります。
そこで、中国軍(明)は最大規模の11万の軍勢を動員し、一大決戦を挑みます。
しかし、ここでも中国軍(明)は敗れてしまいます。
なんと複数回を戦って、その全てで敗れたというのですから、まさに中国軍(明)の完敗です。
初めは余裕と思っていたのが、蓋を開けてみれば連戦連敗ですから、中国軍(明)に止めようがない動揺が走ります。
これは中世の戦争の特徴ですが、激しい戦闘があるのは初戦だけです。
初戦で連敗して、兵士に「敵はすごく強いらしい」と伝われば、兵士自体が恐怖で逃げてしまい、後は一方的な展開になります。
兵士が死ぬまで戦うというのは、国民皆兵が成立する近代以降の話にすぎません。
当時も敗報が伝わるにつれ、中国軍(明)の兵士は腰がひけていき、溶けるように逃散したそうです。
このように日本軍(豊臣)は優勢に戦を進めていたのであり、「勝算がない」とか「誇大妄想」とかは、正しい指摘ではありません。
しかし、日本軍(豊臣)が優勢に戦を進めている最中、不可解なタイミングで諸将に撤退命令がでて、戦は終結します。
豊臣秀吉が急死して国内情勢が不安定になったためなのですが、諸将には「豊臣秀吉の死」は内密にされていたため、諸将は「なんで撤退?」と強い不満を抱いたそうです。
まさに十分な勝算があったからこそ出た不満です。
もし、豊臣秀吉が死去していなければ、「中国進出」は成功していたと思います。
豊臣秀吉が死去した前後、既に中国軍(明)は連戦連敗で戦意を喪失しつつありました。
そのため、日本軍(豊臣)が中国大陸に進出すれば、兵士は我先に逃げ出し、大きな戦闘もないまま首都を陥落させた可能性が高いからです。
別に私が日本びいきで言っているのではありません。
実際、明の正式な歴史書である「明史」にこう記載されています。
「豊臣秀吉による出兵で、明は十万の将兵を喪失し、百万の兵糧を労費するも勝算は無し。ただ豊臣秀吉の死によって終結する」と。
中国(明)ですら、「豊臣秀吉が死んでなかったら負けてた」と認めているわけです。
「豊臣秀吉による朝鮮出兵が開始されて以来7年、(明では)十万の将兵を喪失し、百万の兵糧を労費するも、中朝(明)と属国(朝鮮)に勝算は無く、ただ関白(豊臣秀吉)が死去するに至り乱禍は終息した。」(自倭亂朝鮮七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,中朝與屬國迄無勝算,至關白死而禍始息。)
日本は明・朝鮮軍以外とも戦っていた。
この戦争について『明史』は
「豊臣秀吉による朝鮮出兵が開始されて以来7年、明では十万の将兵を喪失し、百万の兵糧を労費するも、明と属国朝鮮に勝算は無く、ただ関白が死去するに至り乱禍は終息した。」
と、書いてあるのになんか朝鮮では李舜臣が英雄的戦果により追い返したと別の歴史を教えているみたい。
中国の庶民は、子供が騒ぐと「黙らないと日本人が来るよ」と脅すほどだった。
中国はホームアドバンテージも活かせなかったw
そして中韓は昔から弱かった。
変わっていたかもしれません
アホすぎる
明治の日本人が御世辞で持ち上げたのを、いまだに真に受けてホルホルしてるんだよ
歴史を見れば、中国人が口だけの民族ってよく分かるよw
つまり朝鮮側は制海権をまったく取れていないわけで、李舜臣が英雄になってる不思議
局地戦でちょこっと勝っただけだろ
制海権が取れてないんだから意味なし
日清戦争、日中戦争も日本が圧勝だったし
戦闘では負けていない・・・というか勝ち続けている。
じゃなんで釜山を日本軍に終戦まで占領されてるのかな??
最後は島津水軍に殲滅されて、あえなく戦死
制海権を取れるような規模の海軍を朝鮮は持ってなかったからだろう。所詮は中国の属国で貧乏な小国だからね朝鮮は。
明治の日本人が御世辞で持ち上げた
朝鮮人が言っているだけ
日本側にその資料がない
戦乱を勝ち抜いた猛者達がノホホンとしてた連中に負けるわけないもんな
海を渡って中国相手にイクサをしかけようとか、秀吉はとんだ唐変木
秀吉信者が何ゆおうが擁護すべき余地はいっさいない
家康にそっくり身代持ってかれたのも歴史の必然
講和結んで両軍帰ろうとした時背後から襲うを繰り返し明の兵士にも見放され最後最下兵にやられて死んだ馬鹿の卑怯者。
こんなのが英雄の朝鮮人って早く滅びろ。
モンゴルや満州族が中国を征服できたんだよ
日本の人口や生産力を考えたら、明の征服とかは荒唐無稽でもないけどな
もし日本が完敗してたら殆どの人間が海を渡って帰国できていない
明とは戦ったけど
秀吉死んで日本の全軍が引き揚げてる最中に奇襲始めたゴミ指揮官だぞ・・
撤退始めて最早戦う気のない軍を奇襲で刺激するのって意味無いだろ
最終的に捕まって死んでるし
日本人の思考の内容に 問題があるんだろう。
人が、話をしても聞かないし、道理に忠実でない。
つまらない宗教や思想が 入り込んできて、かき乱している。
農業や工業者は、摂理に忠実に動いているだろう。
それ以上にその方法を伸ばせず、否定されているのを、
跳ね返せていない。
貴族階級が、戦争戦略について、無能なくせに、口出しをして、
これを誰も非難しない。
だから、発展しない。大きくならず、努力は徒労に終わる。
個人の責任ではないよ。
朝鮮出兵でも、同じ徒労に 終わった。
まあ、韓国人はそう信じたいみたいだな。
普通に島津に討たれてるのに、其の辺に触れずに英雄扱い。
あっちのイスンシン関連の翻訳記事読んでても、
戦死した詳細に触れたコメントを読んだことないんだよ。
何故か華麗にスルーされてるんだな。
翻訳してる管理人の問題かもしんないけど。
ネジやないと火薬の爆発に耐えられず暴発する
技術的に日本の銃職人のほうが優れてたって事やわ
他のアジア諸国はその謎が解けれず量産できんかったわけで
それがそのまま 戦の朝鮮出兵時の勝利に繋がってる
秀吉が死んだから 明国攻めヤメただけやしね
別に朝鮮に負けたからなわけじゃないやろ
家康が外国攻めるの興味なかっただけや
ほんまかいね 韓国人は話作るのだけは上手いからな
朝鮮は清に征服されるところであったが、反豊臣で朝鮮に組し半島に残っていた日本兵の活躍により独立が保たれるものの清の属国となる。
秀吉が明征服を企てたのは信長の意思を継いだからとの説があるが、スペインの覇権から日本を守るためと推察する説がでてきた。秀吉は南蛮が奴隷貿易をしていて多数の日本人を奴隷にするべく連れ去っているのを知っており、これを買い戻そうとしている手紙などが残っていることから全く否定することはできない。
そういう意味では戦略的にはあまり意味がなかったとはいえ一応日本に一定程度の損害を与えた李舜臣を朝鮮側が名将扱いするのはまあ分かる、というかこいつ以外があまりにも無能過ぎてこいつを持ち上げる以外に方法がない
いつの間にかそれが暴走して日本軍が海戦で大敗を重ねる一方で朝鮮全土が日本軍に占領されているという摩訶不思議なお話が誕生してしまった
よって西日本の勢力だけで大陸を蹂躙した〜
弱い者には強く…強い者には弱いんだから
朝鮮の王は危なくなったら真っ先に逃亡したのは有名なんだから
日本の武将が朝鮮に上陸したら朝鮮の民衆が道案内を喜んでしていたし
どんな名将でも、兵がヘタレの弱小じゃそれが限界ってことだろ。
さすがに広すぎねぇか?
ちゃんとどんな土地が調べてたの?
ただ、武田の騎馬隊一斉突撃なんてものは無かった。っていう説もある。
当時の騎馬兵は鉄砲の射程外で下馬してから徒歩で戦ってたという話。
信長の野望世代にとっては夢のない話だねwww
セロリを持ち帰っただけじゃないんだな
韓国人でマシなのは李舜臣くらいだ。
彼の戦績は戦神にふさわしい。
14. 名無しの中国人
>>13
確かに戦神だな。
戦役の記録全部読んだけど、奇襲、埋伏、地理・潮の満ち引きを利用した臨機応変の戦術を巧みに利用した日本にはなかなかいない優秀な指揮官であり、勇猛な将軍だ。
【悲報 中国人さん、韓国のファンタジー歴史に騙される】
日本と明が休戦協定を結んで、日本が引き上げてる最中に、後ろから李舜臣が襲撃したんだよ
日本は休戦協定を結んだあとだから襲撃されると思わずに、なにか伝言か護衛でついてきたのかと思ってたんだから
そこで襲撃された日本が反撃したら、ボコボコにされた李舜臣は逃げ帰って、明に「宗主国様!これだけ多くの日本の船を沈めました」ご報告して褒美を貰おうとした
そこで明は「休戦したのに襲撃するな!日本が復讐で戻ってきて戦争になる!」と李舜臣に激怒して、李舜臣の首をはねて「李舜臣が勝手にやったことで明の責任ではない」と李舜臣の首を日本に差し出した
それで日本は復讐をせずに渋々休戦協定を続けることにした
つまり朝鮮民族が卑怯な手を使っていつものように引っかき回して明が尻ぬぐいした
それなのに明の後継民族の漢民族が韓国人のファンタジー歴史に騙されるとは情けない!
そりゃ停戦合意の約定無視して 撤退する日本軍の後背を奇襲してきたんだから被害出るわ
殿の小西隊からの救援要請で島津が駆けつけてなきゃもっと危なかった
日本軍の補給軽視は異常だから。
WW2でもインパールなんかでやらかしてるしw
どっちも日本のせいには違いない
まぁ今の中国は事実を教えていないようだが
最大動員して20万程度の兵力でどうやって明を制圧するんだよww
桁が一つ足りない
朝鮮との戦争ですら兵站が悲鳴をあげていたのに、どうやって中国の内陸部で補給を維持させるんだよ
明から開城交渉を反故にされて小西隊の包囲は解かれていない
故に順天城の包囲を解くべく島津を筆頭とする大名諸隊が救出に出向いて海戦が起こっている
この海戦では朝鮮と明の海軍主力が参戦しており、島津隊の陽動にて手薄になった順天城海域を
小西隊は脱出して巨済島に逃走する事に成功している
どうして李舜臣がいる筈のない海域で彼が小西の背後を奇襲する事ができるのか
また、明が李舜臣の首を刎ねて日本差し出したと記述する者がいるが
日本側の資料でそのような話、一切聴いた事がない
仮にその話が本当ならば、首実検した大名・首塚等の資料が残っていなければおかしい
この様なほぼ創作・でっち上げの情報に惑わされないよう注意してほしい
名誉な事だろ?
小西とか石田に負けたならともかく・・
ていう李舜臣の映画はおもしろかったな。
島津義弘に殺されたんだよ、馬鹿が。
李舜臣はテロリストと同列に並べられて可哀想
「東郷提督や山本提督などによる李舜臣賛美」とかも、その人がそう言っていたと主張する朝鮮人の話を聞いた朝鮮人による主張レベルだもんな。
中国と日本の史書や歴史書は合致項目がしっかり存在したりするのに、半島のそれらには全く別の記述があったり、皆無だったり、日中には書かれていない三国の出来事が半島にのみ記載されている事例が多発してるしなw
日本が武装船団での輸送に切り替えてから、連戦連敗だったはず。
実際のところ、日本の記録では初戦で輸送船団の護衛が先走って、それが撃破された位が著名なだけで、その後は地の利と船の大きさと大砲でアウトレンジしてくる李舜臣に対して、日本側は船を出さずに港湾施設による迎撃戦法を選択。
基本少数船団の李舜臣側が上陸戦に及べるはずもなく、かといって日本側は海上に出てこないし、結局どちらもこれと言った成果もなくタイムアウトのような小競り合いばかり。
さらに半島側が主張する日本の補給線阻止攻撃に関しても、初戦がそうだっただけで、朝鮮海峡(半島側対馬海峡)の沖に出て日本船団を襲うことはなく、日本側も中小の船ばかりだったとはいえ船団護衛も増やしたし、戦果は出ていない。
そしてなにより、すでに上陸して攻勢に出ている日本軍による半島占領地域の拡大により、っ李舜臣側の利用できる母港がどんどん減少、どんどん北上したために、対馬方面に遠征もできず、半島沿岸の港を占拠した日本軍に攻撃するにも遠距離移動になって攻撃しがたく、結果的にまともな戦果はない。
そんな状況で日本と明の間で講和が結ばれ、やられっぱなしで逆恨みだったのか、日本側を脅威と見ての主張だったのか、先走った明の将軍の救助だったのか。
撤収する日本軍本体に対して包囲陣を敷いて嫌がらせしているところに、釜山方面から救助に来た鬼島津らによって消息不明(多分戦死)な最後になるわけだ。
日本にしろ韓国にしろ、自分たちに都合のイイ内容に書いているってところもあるだろうが、どっちが正しいかは、最低限共通する事実や、そこから導き出される推察。その後の現地や当事者らの行動などの周辺情報から推察するしかない。
けど、半島のそういう類に関しては、信用度は著しく劣るという評価は、厳然と存在するよな。
帰りは何にもならんから敵を倒すより生き残ること優先
そんな戦意喪失状態も韓国軍が多少活躍できた要因
明を攻略するなら、もう少し上陸地点を検討すべきだったのでは
三段撃ちの扱いを見るにゲームの知識かな?
明や朝鮮の騎兵と日本軍の野戦としては、海汀倉、碧蹄館、稷山があるがすべて日本に敗北している
露梁海戦で1万人も死んでるわきゃーない
白髪三千丈ってやつだ
お前の中でわな、ろくな船も作らない朝鮮がwww
自分達を誇張するなんてどっちもどっちさ。
600年も前のことなんて誰もわかりゃしない。
可能かどうかよりもあんな広大な荒野を占領して何がしたいの?
労力に対する見返りはあるの?動機の点で弱いな。
名将とかいう輩は歴史語る資格なし。ホント大したことしていない。日本と明の行軍、交戦の記録からも明白。客観的な話ね
そりゃ戦況に影響する訳無い
道で子供だけ狙って絡むみたいなもんだもの
私も昔歴史の授業でそう習ったし、授業以外でもそういっていたのでそうだと思っていた
日本が中国のような大国に勝てるわけがない
戦争したのは秀吉が妄想を抱いたらだと
しかし年を取ると分かるようになった
勝算はあったと
小国だから勝てないというのなら何故イギリスは小国なのに世界の大国までのし上がれたのか?
それは産業革命がおこったからであり、近代兵器があったからだ
当時の日本は鉄砲もあったし、信長の時代にはない大砲もあった
もし勝てていれば、日本はイギリスの様に世界各国に植民地を持てただろう
そうなれば太平洋戦争も起こす必要がなかったはずだ
江戸時代の天下泰平は結局日本を後退させてしまったので、明治以降はその代償を払うことになった
その理屈で言うと、織田信長は駄目だから明智光秀に倒されたんだな?
「相手に打撃を与えたから日本の勝ち!」
「え?戦略目標??達成できてませんがそれが何か?」
というパターンが多すぎだよね日本はw
騎馬民族の兵一人で日本兵10人を相手に出来ると馬鹿にしていた
義弘公率いる名もなき薩兵の火縄銃に当って頓死したんだよ
約定破って襲撃してきて返り討ちにあう無様な死にざまを晒したのが李舜臣
まぁ生きていても又冤罪被せられて獄死だったろうけどね・・・
あの時代のの朝鮮で武官やってたら地獄みたいなもんだw
未だに国境問題に地味になってるんだよね
渡河してソ蒙連合軍を包囲してたし
ノモンハンの南側が大きくえぐられて、そっちが国境問題として引き継がれた
満州国から中華民国、中華人民共和国と引き継いだので、未だに中蒙国境問題になってる
あとノモンハン地域と言うべきで目に見える標識も街も何もない所だからな
満州国人の拉致が相次いでたので日本軍と満州軍は捜査と警戒してたんだけどね
国境紛争なので明確な勝利条件なんてありえない
どっちかが凹み、どっちかが凸る、そんな感じ
ただ、ソ連軍の被害数はいくら計上しても意味が無い事に着目して欲しい
彼らは勝とうが負けようが損害を度外視するのが当たり前で、何千何万何千万死んでも問題にしない
第二次世界大戦後にソ連国民が塗炭の苦しみ味わっても赤い貴族には関係ないからな
日本の動員力とか言ってる人は間違い。だって人数は降った明国兵がバンバン加わるし、そもそも動員力が全てならモンゴルも女真族も勝ててないでしょ。
ただ勝って良かったかは別。中華の怖さは取り込んでから。内側から喰われてしまうから、下手すると中華文明に吸収されてたかもしれない。そうでなくても大量の明国・朝鮮人が日本に入り込んでしまっただろうし。
日本が優しいから必死に探してきた朝鮮の英雄が李舜臣だから
ものすごくいい言い方をすれば、負ける正面からの戦いは徹底的に避け生き残るのを優先し、後退しながら日本の補給線を狙い続けた武将となる
脇坂隊は総勢1500名で陸戦力主体、李舜臣が勝ったのは水上の輸送隊だから多くても数百名
停戦の協定したら破り、一旦降伏して相手が油断したら攻撃し、しまいにはこいつには気を付けるように手配書までまわされた人物
朝鮮の兵士の弱さについて文句書きまくってたが、そこは同情すべきか
勝ち負けは無し。
序盤、先発の加藤清正が果敢に明との国境まで攻め続けた。
4回までに、20-0の一方的な試合展開。
途中、イスンシンが反撃にでて、1点返すけれど、反撃もそこまで。
5回秀吉の死亡によりノーゲームでした。
ってだけだろ!
戦争の明確な勝敗としては「日本には負けなかった瀕死の朝鮮」と「ほぼ即死の明」と「余力あった日本」だろ。
とか言って旧満州あたりまで進軍してんだけどな、朝鮮軍が雑魚過ぎて。
主要な武将は一人も死んでないし、だまし討ちでかろうじて背後を突いたぐらいが
日本の痛手。
中国側の資料から見ると、豊臣日本軍は圧倒的だぞ?
まーたいい加減な都市伝説吹聴する。
どこでヌルハチが日本の武者と対峙したんだよw?
満州まで押された無能朝鮮軍の末裔さん?
それはヌルハチではなく李如松の一族の李如梅の発言ね。倭人は30人いても騎馬兵一人に及ばずだろう?
本当に言ったのか定かじゃないけど。
豊臣軍の失敗は、
第一に明への侵攻を朝鮮頼みにしたことにある。秀吉は明に下見部隊を送ってたか?道を知らずにどうやって行くのか?
第二に秀吉自ら行かず、諸将が朝鮮でどうすればいいのか迷ってしまったこと。だから平壌から先に進めなかった。
チョンとか言わないでね、違うしw
だけど大河でポニー出してたら様にならんよなw
自倭亂朝鮮七載,喪師數十萬,糜餉數百萬,中朝與屬國迄無勝算,
至關白死而禍始息。
(七年にわたる朝鮮の倭乱によって、兵数十万と糜餉(戦費)数百万を失い、
中国と属国(朝鮮)に勝算はなかったが、関白(秀吉)の死により戦禍は
終息に向かった。)
明の国書で秀吉が死んで明は助かったと総評してるし、
秀吉があと10年生きてたらどうなってたかね
あと当たり前だが国書によれば朝鮮は属国だった
>>兵站を軽んじる国に戦略はない
小学校でそう教わったのか?
海を超えて数年間数万の大軍を展開し続けられたのは驚異に値する。あの当時そんな事ができる大国は豊臣政権以外に存在しなかったよ。
わかりもしないで兵站がどうこういうアホは、石田三成ら奉行衆の有能さがわかってない。
太閤の命令だから来ただけで日本の武将はやる気ないよ
土地は痩せてるし水も悪い、こんな土地奪っても邪魔なだけ
鬼島津が本気出したのも、帰国したいのに邪魔されてブチ切れたからだしな
当時の日本の軍事力は、それ以外の世界全てぐらいだった。
今で言うアメリカみたいなもん。
豊臣秀吉の無茶な作戦と死去がなければ、確実に明国まで滅んでいた。
百年戦争でイングランドのロングボウ部隊にボコボコにされたフランス重装騎兵(騎士)が、ロングボウよりはるかに火力の高い火縄銃隊を破れるわけないだろ。
泣きながら敗走するだけ。
『陰徳太平記』という史料には、元亀元年(1570)に三好に雇われて信長と戦った雑賀衆が「二段撃ち」をしていたという記述がある。
これに苦しめられた信長がさらに改良して三段撃ちを開発していてもおかしくはない。
あくまでも「おかしくはない」くらいだが・・・。
104を読め。第二次大戦の間抜けな将軍たちと違って豊臣政権はしっかりやってたよ。
いや、九州で暴発したんで、ねじの事を、金を払って、聞いたんだよ。
奄美大島諸島の 達人が、質問した側だった。
朝鮮水軍は、日本の輸送船を攻撃しただけ、日本の有名な武将は乗ってないよ!
詳しく説明ご説明いただき、ありがとうございます。
明の軍備や戦果についてはちょっと調べたぐらいでは成果が得られなかったため、どんな戦いが行われたのかと疑問に思っていました。
このような情報はどこから得られたのでしょうか。
スペインポルトガルからのフランキもあったし、カルバリンもあった
鉄砲と一緒に、国産化もしてて現物が残ってるよ
信長が長嶋一向一揆に対して艦砲射撃してるしね
大友宗麟も国崩しで臼杵城で最後のひと踏ん張りした
水軍用の艦載砲もあったりする
補給軽視してたら戊辰戦争も西南戦争も日清戦争も日露戦争も勝てなかったし
日華事変をえんえん続けてられなかったよ
戦域を広げすぎた第二次世界大戦は、遠くに行けば先細りするのは自明の理であってね
アメリカ軍もフィリピンや硫黄島、沖縄あたりに来たときは結構無茶やってたのよ
国力でごり押ししてたようなもんで1945年のアメリカの厭戦感情は相当たかまってた
朝鮮の役では兵站はあの当時としては立派
石田光成や大谷吉継、増田長盛らはよくやったと思うよ
あと各大名家の後方担当もね
主力兵器である種子島の弾薬と補充もあるし、衣類やら米やら戦草鞋やら消耗品も多く
現地調達できない物が多かったんだよ
あの時代の朝鮮は米を殆ど作って無かったしな、稗粟高黍だったし匙でめしくってたしね
バカかおまえは
明らかに日本よりはるかに少ない女真がなんで明を征服できたんだよ
少しは考えろや
TOR荒らし対策で少しコメント制限中です。ご不便をおかけして申し訳ありません。