中国人「日本は大化の改新で天皇集権国家が確立したのに、どうして後にあんなに多くの地方大名が出現したのか」 中国の反応

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日本は大化の改新で天皇集権国家が確立したのに、どうして後にあんなに多くの地方大名が出現したのか

中国は春秋時代の後、地方領主は基本的に絶滅した。
だが日本は中央主権国家になったのに、どういうわけか多くの地方領主が存在した。





 



1. 名無しの中国人
日本が天朝から学んだ中央集権制はほんのわずかだよ。
日本が集権国家になったのはとても遅かった。
中国の戦国末期ころにやっと集権制が現れたんだ。
日本は唐の時代には、実際この藩鎮割拠の問題は解決していなかった。
宋の時代にはじめて解決したんだ。



2. 名無しの中国人
でもやはり貴族はなくなった。
日本はどうしてのちに天皇制が肩書きだけのものになったのか。
まるで改新が無駄になったようだ。



3. 名無しの中国人
>>2
だから日本は表面的なものだけを学んだんだよ。
ただ中国の制度をなんとなく学んだだけで、管理方法、皇帝、臣下などは日本は学んでないんだよ。



4. 名無しの中国人
やはり中国は策略に長けているようだ。
日本は天朝に学んだとは言っても、のちの封建制度の発展などはヨーロッパ式だし。



5. 名無しの中国人
中国は科学技術は日本ほどではないけれど、策略、腹の探り合いについては、日本より進んでいると思うわ。



6. 名無しの中国人
島国では集権国家は無理なんだろう。
明朝の時代、あちらでは戦国時代。
戦国時代が終わればやはり封建制。



7. 名無しの中国人
日本の天皇が実際の権利を擁したのは全部で何回なんだろ?



8. 名無しの中国人
>>7
詳しい数字はわからんけど、かなり少ないな。



9. 名無しの中国人
体制が違うだけで、実際は中央集権国家だろ。



10. 名無しの中国人
中国と日本の歴史では貴族体制に違いがある。
飛鳥時代や平安初期には天皇は貴族藤原氏の圧力を受けていた。
それに天皇継承は前漢の中後期と似ているところがある。
天皇家の多くの後の時代の人は分かれて武家貴族になった。
平氏や源氏が最も有名だ。
これらが、日本全国にあっというまに武家勢力を浸透させ、だんだんと藤原家一族が歴史舞台から姿を消していった。
武家貴族の一家族が大きくなり、日本の実質的最高統治者になり鎌倉、室町、江戸幕府を設立した。



11. 名無しの中国人
少数ながら白河法皇や後醍醐天皇など、少数の天皇は武力勢力を鎮めたけど、日本の歴史の中では優れた天皇はわずかだね。



12. 名無しの中国人
白河天皇の勇猛果敢さは藤原氏の旧貴族の束縛を脱却したけれど、武力集団の強制に陥るとは想像してもなかった。
そして天皇制度はさらに衰退していく結果となったのだ。



13. 名無しの中国人
歴史は永久にいかなる軌跡にも従わない。
みんな各々自分の考えがある。
日本は何を学んだか、日本がどんなだといったものでなく、当時の社会情勢、主権者の考え方など主観的なものによって決まる。



14. 名無しの中国人
聖武天皇は法令により武士階級を作って、後の幕府政治の下地となったんだぞ。



15. 名無しの中国人
中央集権国家は封建制には及ばないって。



16. 名無しの中国人
歴史というのは、誰かが誰かに逆らい、のちに、誰かに逆らわれ戦争に敗れて自殺するということ。



17. 名無しの中国人
中国では朝廷が変わるときには、前の朝廷に対し基本的に抹殺が行われたからな。
皇帝の親族、貴族が主な標的だったんだよ。



18. 名無しの中国人
大化の改新は古代の日本が中国の隋や唐の経済や政治制度を学び、模倣して行われた改革だ。
大化の改新では唐の律令制度を基本としてたが、日本の古い制度も取り入れ、自分たちオリジナルのものを作り上げたんだよ。



19. 名無しの中国人
大化の改新は日本が奴隷社会から封建制度へと移り変わる橋。
でも徹底的には地主制度が消滅しなかったってことだよ。



20. 名無しの中国人
日本は世襲貴族統治制度を廃止し、中央集権国家を設立し、中央は2官8省を設立、地方は国、郡、里を設立して、中央から人を派遣して管理した。
それにも関わらずどうして地方領主がたくさんいたのかはマジで謎。







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コメント一覧

308831通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
室町、鎌倉時代が抜けてるんだな
308832通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
シンプルに考えればいい
漢という帝国が滅んだ後五胡十六国から五代十国まで群雄割拠したやろ、と
308833- ▼このコメントへ返信
趙匡胤くんとその一族が頑張らなきゃ似たようもんになってたんじゃね?
308834通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
中国なんか征服王朝だらけやんw
308835通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
日本は外国人が想像する以上に実力主義だから。
伝統的秩序は形式を整えるもので、内実は実力ある者が統治する。
実力だけでは権力者の横暴がはびこるが、伝統的秩序がそれを抑止する。
自然に出来上がる形のバランスをとることで、全体が均衡発展した。
統治における原理主義=儒教とは本質的に無縁な国柄なのだ。
308836通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
違う国に滅ぼされるたび変わる中華皇帝の椅子ほど薄っぺらいものはない。天皇は天皇であり、中国および諸外国の「皇帝」の捉え方では決してない。なぜ中国人が上から目線で買ってるのか理解できないが、奴らは大陸の歴史を中国の歴史(笑)に組み込み我がものとしているどころか、それこそ中国だと開き直っている。歴史の捉え方が非常に幼稚で何も学べていないのがよくわかる。ここでいう諸大名の権力闘争こそ中華皇帝の椅子を巡る構図と同じだと気づいてない。天皇陛下はその上におわせられる。
308837通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
支那の遅れた体制に耐えられるほど馬鹿じゃないからだよ
308838通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
あの国の人々はこのぐらいの時代の話すると面白いんだがなあ
308839通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
つか中国だって今でも地方じゃ
お上の言うことなんて聞いちゃいないだろ?
308840通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
支那の皇帝に該当するものが日本の武士だからな
ただし支那のように腐敗しない
308841通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
まあ日本の歴史は
中央集権から中央集権までという
考えようによっては壮大な無駄
308842通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
春秋戦国時代を経て始皇帝が天下統一したのとは事情が違うからね。
あの時代は地方の役人が地元の宗教集団とか有力者をことごとく排除して、王に従わせていくことで国力を高めて戦わなくてはいけなかった。優秀な人材を王の元に集める必要もあった。
それが中央集権国家秦を作った。
でも日本では単に蘇我氏を排除しただけだったし、世襲ではないという制度を導入しても世襲となんら変わらなかった。
地方出身の優秀な官僚が中央でのし上がるという仕組みは無かったから、地方は地方でよろしくやっていたはずだ。
国司と国造との間には越えられない壁があり、それを越えるのに成功(じょうこう)があったが、そこを越えてもどうせ都の貴族にはなれなかった。
でも芋がゆも食えない都の貧乏貴族よりも地方の国造の方がいい暮らしをしていたんじゃないかな。
308843通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
※8
日本を語ってるの見るとつまんない上に頭悪すぎるぞ
308844通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
※10
腐敗するほど富が集積しねーもんな
308845通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
※11
無駄どころか功績よ
その間がない支那朝鮮は近代化出来ない後進国
あいつらはそこまで進化出来なかったのであり今でも出来てない
308846通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
※14
全く違う
支那は貧しかろうが一部の権力者だけが富を独占し貧しい者を救わない
武士は元々貴族の横暴に反旗を翻したため、権力者は弱者の権利を守り富を与え本人は富を収奪しない
そういう存在でないと武士の支持を得られない
その時代があるから日本は先進国になれた
308847通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
※14
惨めな奴だなお前
308848通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
まあ、大陸の古代文明の多くにあるような、巨大河川と巨大水路網による巨大な灌漑農業システムが無かったからな。
その巨大灌漑システムを維持するための巨大な中央政府も不要だった。
マンパワーの動員と官僚制が大前提だからな。
日本は現在に至るまで、基本的に天水農業。山脈と島に別れた小さな平野群で。その平野群にそれぞれ小勢力が割拠していた。武士団とか商人とか寺社とか。
ただ、その小勢力の寿命は極めて長い。佐竹家とか井伊家とか、今でも地方政治では名門。佐竹家なんか政治勢力としては南宋の時代から続いてるぞ。出雲国造家はどれくらい古いのかわからないくらい古い。漢や魏の時代である可能性すらある。中華にも半島にもそういう例は無いらしい。地方勢力は統一国家によって毎回根こそぎにされる。古い商家すらほとんどない。
308849通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
山が多くて細長い日本列島では中央の命令を各地に迅速に行き届かせるというのは難しかったんだと思う
中央集権よりも地方自治の方が理にかなっていた
だから天皇は欧州における法王的な権威に留まり、統治は現地の実情を知る者の手による封建主義で行うことになったのだろう
308850- ▼このコメントへ返信
中国人が日本の歴史に関して学ぶってなんか奇妙だよな。
そういう探求心とか知識欲求ってプロパガンダと唯物論で退化してると思ってた。
中国人も文明の発達に触れて考える喜びに目覚めたんだなぁ。
そうやって民衆が国家の呪縛から逃れ個の独立性を築いて初めて先進国となるんだろな。
韓国人には辿り着けない域に数年で飛び込んでくるのは、やっぱ中国の長い歴史からくる民族の成熟性なんだろう。
308851通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
島国っつーか山国では限界があるって感じでしょ
海が穏やかならむしろ地方の鎮圧はより容易だ。

てか何を以て日本を下に見てるんだ?滅ぼされた回数か?
200年周期で滅ぶ王朝のやりかたをそのまま真似るわけないだろw
308852通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
※18
縄文時代末期から灌漑はあったが中世になるとやらなくなったんだよな
そして灌漑は大名家が担っていた
308853通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
※19
それは逆で、支那にとって地方はどうでもいいからじゃないかな
今も日本は田舎も発展してるけど支那の田舎は数百年前のままみたいな遅れたまま
一地方である朝鮮の扱いを見てもそう
支那は未開のまま放置したけど日本は育てた
308854通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
※17
幼稚な奴だなお前
308855通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
唐の時代・宋の時代っておまえら「大劣化モンゴル擬き」には関係ネ~じゃんw

なんで劣化モンゴル人は「日本は我から影響を受けて発展した」とか全く関係無い他人の手柄を自分の事の様に誇るの?

朝鮮人かよw
308856通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
※24
お前のレスと反応がその通りだな
308857通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
中央から派遣されるはずが派遣先に行かなかった
開墾した土地は個人のものになったが盗賊がでたりするので
偉い人や寺社に保護されるために荘園になった
荘園や偉い人を守るために武士が存在したが
武力を実際持つ武士が名目だけの偉い人より権力を振るうようになった
島津は藤原氏の部下だったんじゃなかったかな
308858通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
※25
大化の改新って鎌足の子孫が影から天皇家を支配する発端で支那と全く違うしな
308859通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
何故も何も集権国家が永久に保つ国なんて存在しねーからだよwwww
お前らの国は何回集権国家を設立して崩壊させてるんだ、自分の国見りゃすぐわかんだろwww
308860通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
天皇は完全に形骸化してたけど官位や役職は肩書きとして便利だったから
308861通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
日本には支配者と奴隷の関係は古来から存在しない。
308862通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
唯物史観の国のくせに唯物的生々流転を理解してないんだな。
中央集権強化(班田収授法)→国力停滞→再私有化(墾田永年私財法)→地方豪族成長→封建制(地方分権)成立なんだよ。



308863通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
こいつらなんか勘違いしてるけど今の共産党王朝は建国70数年だぞ?
トルコ人やモンゴル人女真族の国と何の関係も無いだろ同じ場所にかつてはあったが
日本の場合天皇が権威として君臨し続けたっていう建前があるんだけどね
308864通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
2000年超えの王朝を誇る国に向かって
王朝が滅亡しまくった国が何を言っても説得力がないって気付けよ
308865通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
中国とかここ1000年の7割り以上が征服王朝やんそれ以前の北朝や隋なんかも帰化王朝だし
なにが主従の立場でひたすら混血させられてるのに漢民族の文化だか
308866通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
まず中国人の「中央集権化が文化的に進んでいる」という前提に問題がある。
中央集権化がいいか、地方分散型がいいかは、その時代の社会情勢(環境)によって異なるのだ。
308867通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
まず中国人の「中央集権化が文化的に進んでいる」という前提に問題がある。
中央集権化がいいか、地方分散型がいいかは、その時代の社会情勢(環境)によって異なるのだ。
308868通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
※37
二重投稿失礼しました
308869- ▼このコメントへ返信
単に地形、地勢の問題。
中国の中原は基本的に地勢が平坦かつ道路、河川水路で互いが繋がっていた。
四川や福建などはそれに比べ、小さい地域のため、中央が乱れれば独立するが、基本的に中央の牽制の内に収まる。
対して日本の場合、国土自体狭くはあるがさらにその中で山脈や海、湿地などでごく狭い地域ごとの盆地、平野に分断されていて、大きい勢力が中央で統御するのがむずかしかった。そのことが地方勢力の独走を呼び中央集権の維持ができなかった。

例えば四国や吉備、信濃が分かりやすい。
もし四国が全て山のない関東のような平野であれば、長曽我部の白地城のような位置に四国の首都を作れたわけだが、実際は山脈で大きく四つに分断され、一体感のない地域となった。
それは古代以来、吉備、信濃が分断された地域で他地域のように大勢力となれなかったのに似ている。

日本も(または欧州全体や神聖ローマこと中世ドイツも)地形から見て中央集権が現実的に合理性がなかったから、地方分立の封建的領主制が選ばれてきたにすぎない。
民族や政治体制の優劣の問題ではない。
308870通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
そりゃ簡単な事だ
軍事と警察権を放棄して管理しなかったからだわさ
主権者はこの二つに権力をきっちり自分の責任で管理しなければいけないって教訓だ
308871通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
中国人が馬鹿のままでよかったわwww
308872通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
地方大名というのは元はといえば幕府が送り込んだ守護地頭
幕府が地方を支配して中央集権するための手先
大名が地方支配してた期間なんて日本史の中で僅かな時間でしかない


308873通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
計算したら紀元後から現在までの中国における征服王朝(異民族による支配)の期間は721年だった
中国は2000年間のうち約三分の一が異民族に支配されてた
308874通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
一度体制に反対したら一族郎党皆頃しの中国と比べられても
308875通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
天皇家=最初に日本を纏めた名家
大名その他=力ある成金であり肩書は天皇家の子分。

天皇家の権威を壊さず利用して日本統治やった方が楽じゃん。
それに宗教団体の権力もあるんだしな。


308876通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
律令制は儒教を下敷きにすると腐敗するんだよ。
開拓農民が折角開拓した田畑を国司が取り上げたりしたからな。
そうなると別の有力貴族や寺社に名目上寄進するようになる。
結局、横暴な律令制、脆弱な中央集権体制は百害あって一理無しとなった。
鎌倉期に武士が勃興して地頭になり、寺社領、荘園、律令田地と乱立。
権利関係が無茶苦茶になった。
室町初期に高師直とかが公家衆に乱暴狼藉働いたのも、それまで武士(武装農民や商人)を虐め抜いたから。
第一、朝廷が常備軍廃止して治安も国防も放り投げたからね。
在地の農民、商人、職人が武装して自衛するしかなかった。
武装して地力を蓄えた者が勃興するのは当然だからな。
ただし、皇室は摂関家などに骨抜きにされて権威だけになってたから、尊崇されてたし無碍にはしなかった。
色んな出来事が複合して、皇室は君臨すれども統治せずと言う形になったのは僥倖だったと思う。
調べれば調べるほど、江戸以前、豊臣以前の日本の状況は複雑怪奇で本が何冊も出せるレベルだからね。
308877通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
結局、人間の歴史は自然?地形とかの影響がデカいんじゃないかね
日本は繋がってると言っても、山が多いから、方言とかも狭い国土で結構あるし
ゆるく分断されてるので、一度中央集権にしても、管理が弱くなりやすいんじゃないかね
地方、地方の集団でまとまるので、地方の権力ができやすい
308878通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
※47
中国も南船北馬で地形が違うぞ。
江南(長江以南)は山ばかりだし。
四川は蜀の桟道渡らないと無理だし。
朔北は山あり砂漠ありだしな。
あの国は国境線に成りえる地形は結構あったんだけどね。
第一、今の中華人民共和国はチベット、東トルキスタン、広西チワン、雲南、内蒙古、満州は別の国。
春秋戦国、五胡十六国、五大十国など、実は統一期より分裂期の方が長かったりする。
しかも言葉も違ってるからな。マンダリンが共通語だけどさ。
308879通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
謎でも何でもないのに…
中央集権体制になったってのがそもそも間違い
308880通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
古い時代に中央集権国家は難しいわな。
通信技術が無く伝令による人力連絡だから、
地方の役人から中央に状況報告が届けられるのも時間が掛かり、
それに対する中央からの対応の指示が地方の役人に届けられるのも
また時間が掛かる。
結局、中央集権では全ての対応が後手後手に回ってしまう。
結果、地方の統治者に中央は高い自治権を与えざるを得ないんだよね。
308881通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
桓武天皇が、徴兵制を廃止し、軍事力を放棄をしたから

軍事力なしに、中央集権ができるわけがない
国家が軍事を放棄したから、地方の有力者は
自衛のために武力を持つようになり、武士が生まれる

保元平治の乱のような、朝廷の権力闘争も
天皇に直属の軍隊がないから、武士の武力を借りる事になる
武力をもつ武士に、実権が移ったのは当然の事だ

中央政府が、正規軍を持たない
実権を握った軍事的勝者が、天皇を滅ぼさない
その二点が、日本史の特殊性
いずれも、日本特有の信仰が理由だ
308882通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
桓武天皇が、徴兵制を廃止し、軍事力を放棄をしたから

軍事力なしに、中央集権ができるわけがない
国家が軍事を放棄したから、地方の有力者は
自衛のために武力を持つようになり、武士が生まれる

保元平治の乱のような、朝廷の権力闘争も
天皇に直属の軍隊がないから、武士の武力を借りる事になる
武力をもつ武士に、実権が移ったのは当然の事だ

中央政府が、正規軍を持たない
実権を握った軍事的勝者が、天皇を滅ぼさない
その二点が、日本史の特殊性
いずれも、日本特有の信仰が理由だ
308883通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
桓武天皇が、徴兵制を廃止し、軍事力を放棄をしたから

軍事力なしに、中央集権ができるわけがない
国家が軍事を放棄したから、地方の有力者は
自衛のために武力を持つようになり、武士が生まれる

保元平治の乱のような、朝廷の権力闘争も
天皇に直属の軍隊がないから、武士の武力を借りる事になる
武力をもつ武士に、実権が移ったのは当然の事だ

中央政府が、正規軍を持たない
実権を握った軍事的勝者が、天皇を滅ぼさない
その二点が、日本史の特殊性
いずれも、日本特有の信仰が理由だ
308884通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
日本の貴族は鄙にはほとんど興味なかったから
308885通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
確かに不思議だわ。貴族が中央に居たがるから守護代が大名化したっていうけど、
中国の方が地方が遠いし、行きたくないし、行くの大変だと思うのよね。

思うに、日本には科挙制度が移植されなかったからじゃないかしらと。
科挙受けて合格して役人になれる人材がわんさかいるんだったら
ソイツに「おまえ地方いけ」といえばハーイと従うけど、
世襲貴族に地方行けと言ってもえーだって親父殿がいるから京都の方がイイもん、
とか言って行かなかったりしたんじゃないのかと。ほんで留守中に部下が力をつけて乗っ取られちゃう。

まあ中国人っておもしろいね、こういう問題設定、論文になりそう。
こういう疑問を考えつく人、あたまいいと思うよ。

308886通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
>やはり中国は策略に長けているようだ

王朝が興る度に前の王朝の文化を根絶やしにする国が何を言ってんだか
近代にもなって雀を虐殺する大躍進政策(笑)を本気で実行して自分の首を締め落とす寸前まで行った国が「策略に長けている」とか笑えるわ
308887通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
※41
いわゆる「文化大革命」で、「文化人」を排除した実績がある。
308888日本人の反応で自尊心回復するチンク ▼このコメントへ返信
※25
チンクの嫌いなところってこういうとこだわ
308889通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
天皇制とは敬い奉る存在として完成したからだと思うよ?

武力による国家権力での支配を放棄して、国の象徴とした存在が ” 天皇家 ” なんだからさ。

んで ” 大名 ” とは地域の統括地主のようなもの
308890名無し ▼このコメントへ返信
ちょっと解釈は違って、信長や秀吉や家康ですら朝廷の力を敬い、将軍の座につくというのも朝廷との関係での階級であり、天皇家は戦国時代においても一目置かれていた、が正しいと考えます。戦国時代に朝廷にちょっかいを出すなどということもしなかった(できなかった)というのも、庶民の神道信仰(財力含む)の力が生み出していた、と推測します。だから戦国時代も途切れずに現在も世界一の長さの皇室・天皇家が続いているのです。
308891通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
>59

そりゃちがう。武力による国家支配を放棄したんじゃない。官軍というものがいる限りその説明はおかしい。
308892通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
※51
>実権を握った軍事的勝者が、天皇を滅ぼさない

「足利義満」、「織田信長」など、「皇位簒奪」をしようとしていると見なされると、物理的にこの世から排除されている。
「帝(みかど)の御意向」を指示されて、「弑する」ことを拒否できる日本人はいないだろう。(確信
308893通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
ほんと日本は封建制に限らず農業商業経済の発展の速度も過程も西洋と足並みがそろっていて興味深いんだよ
荘園が長くあって勢力をもっていたからかな
308894通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
封建制はそれほど悪いものでも無いんだが、同じ中国人でも別の国を建てること(例えばシンガポール)が理解できない中国人には理解出来ないだろうね。
維新開国のときに、備前佐賀藩だけが西洋に伍する武器を開発できたなんて史実もあるし。
308895通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
※62
陰謀論はアホだぞ
308896- ▼このコメントへ返信
中国王朝って前漢の郡国制、西晋の皇族の門閥化、唐の節度使など、北宋の成立まではあまり中央集権化していないイメージ。
しかも集権化したら対外戦争に弱くなっちゃうし本当に良かったのか?
308897- ▼このコメントへ返信
漢や唐あたりは帝室を潰さないで形だけでも残しておいた方が中国にとっては幸せだったんじゃないだろうか。
軍閥は日本の武士化するだろうけど
破滅的な農民反乱や外国勢力も交えた乱世は、帝室を旗頭にして団結する事である程度抑制出来たのでは?
それに20世紀に共産化する事も無かっただろう。
308898通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
大和朝廷は 行政も武力も持っていたが 仏教が入って貴族達は殺生するのを嫌がった 殺生は徳の低い行為で浄土に行けない しかし国を経営するには暴力装置が必要で 貴族たちは主人を守る侍を重用した しかし荘園の管理に貴族と一緒に地方に行った侍達が荘園の周りの未開発の土地を開墾して僅かな土地を所有した 埼玉の秩父山地の縁
一所懸命の考えが広がり 貴族からの独立が進み 侍は貴族から一族の頭領に忠誠を誓う様になった
308899通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
マルクスの分析通り西欧と日本にしかなかった封建制度である。西欧には神聖ローマ皇帝がいたが多分に名目的存在で多くの王侯諸侯が乱立して地方分権だった。
308900- ▼このコメントへ返信
中国はいまだに奴隷がいっぱいいるじゃん
いまだにトップに平伏し、民主主義のカケラもない
古代国家となんら変わらない中国
308901通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
大陸は漢民族 vs. 異民族
日本は基本大和民族同士の内争
が歴史の柱になっているという違い
308902通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
日本列島は山、谷、海で地方地方に分断されていたから大陸のように大軍で一気に制覇できないんだよ。
308905通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
なぜ律令制が成り立っていたかというと

弥生・古墳時代以来の地域の首長層を、そのまま郡司層として取り込み
中央から派遣した国司の下で
戸籍・計帳を作成させたり、税を取り立てたりなどの実質的な行政権を与えて
中央の貴族や寺社の荘園管理をもアウトソーシングする事で成り立ってんだよ。

要するに律令制は昔からの地域の管理者に、
地方行政を丸投げすることで成り立ってたの。

でも小賢しい奴が考えた
「郡司という無駄な中間マージンを無くせば、朝廷と貴族はもっと儲かるのでは?」
というアイデアのもと、郡司層を追討したり取り込んだりして、土地から切り離した結果
弥生時代以来の地域の共同体は消滅し、実質的管理者を失った地方行政は崩壊。

世紀末世界と化した地方の中で
新たに台頭したヒャッハーの親玉、富豪輩(ふごうのともがら)が大土地経営者となり
国司と互いに私兵を養い合って、私戦を繰り返すことで律令制は崩壊していった。
308907通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
北宋文化を最後に日本が中国から学ぶことはなくなったからな
あちらは農民反乱~繁栄→腐敗による衰退のループだし
308908通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
中原の王朝は、あくまで権力を掌握しただけだから、
ひっくり返れば、皆殺しになるだけ。

日本の場合、天皇は権力を掌握した時期はわずかだが、
時の権力者からも崇められる権威を保ち続けた。

このあたりが理解できないと、日本の歴史はわからんだろうな。
308909通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
中国と日本では皇帝/天皇統治の評価観点が違うのではないでしょうか。中国人コメントからうかがえる統治像に日本人が違和感を感じるのは、そのせいじゃないかな。
308910通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
封建制度を経験しないと主要先進国にはなれないぞ。地方の底上げがないからな。中央集権制なぞ国内で宗主国と殖民地をやってるようなもんだもんね。
308911通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
院政で上皇と天皇が対立して各々軍事力が必要になって
武家に力与えすぎたからやろ
日本史の基本やろ
308912通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
旧弊の貴族対新興の武士の戦いである源平の合戦は中国人は知らんだろな
308913通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
公地公民制がうまく機能しなくなり、三世一身の法や墾田永年私財法ができて土地の私有が認められ、律令制度が崩れていったのだよね。
貴族や寺院が力を持ち、荘園が各地にできる。墾田した者はその墾田を貴族や寺院の荘園にしてもらう代わりにそこの代官となって貴族や寺院に臣従した。貴族に属した者は武士となり、寺院に属した者は僧兵となった。

皇位継承問題や摂関家の内紛で対立する勢力間で武力衝突が起きる。保元の乱(1156年)と平治の乱(1160年)である。この戦いの中で武士が台頭し、平氏による武家政権が誕生する(1160年)。その後、源平の戦いがあり、源氏による武家政権が誕生する(1185年)。以来、1868年まで約700年間の武家政権が続く。

各地の武士は武家の頭領に忠誠を誓い、奉公する代償として土地を安堵される。日本は700年にわたって封建制社会を経験する。各地の領主は自分の領地から税を徴収する。それは米、塩、布などの産物、あるいは銭で納めさせた。集めた税は自己消費するともに、さらなる利益を得るために商業流通させた。したがって封建制社会では商業が発達し、物資の決済を円滑にさせるための金融業が生まれる。

江戸時代になると各領主は殖産事業を行った。それが各地の特産物を生み出し、日本文化の多様性を生み出している。人口の増加に伴い、多くの製品が大量生産されるようになる。最初は問屋制手工業から始まったが、江戸時代末期になると工場制手工業に発展する。これはヨーロッパと同じ発達過程である。
日本が明治維新で西洋文明を取り入れ近代化に成功したのは、このような先行経験があったからだといえる。


308915通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
中国人達も、何とかして自国の方が日本よりも優れていたとこじつけたいんだろうけど
現実を見たら却ってみじめになるのになw
308916通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
権力の奪い合いはあったけど
権力を奪いあうプレーヤーがみな天皇を権威として価値があると認めていたから
天皇を権威として認めない勢力が権力を握っていたら天皇は終わっていた
これが中国との違い
308918通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
>公地公民制がうまく機能しなくなり、



ここもうちょっと深堀したいよな。我々のイメージする中国人って凄くお金にシビアなのに
なぜ皇帝に対して開墾地の私有をさせろとは言わなかったのか。
日本の場合は藤原氏とか外戚の力が強くて天皇が大貴族の私有を止められなくなり、
藤原さんとこがやってんなら佐藤さんも斎藤さんも工藤さんも、田中さんも鈴木さんも山田さんも、その他有象無象も誰でもやってんだからべつにいいじゃーん、みたいな形でなし崩しになって行ったと思うんだが、なぜ中国は王権がずっと強くいられたのか。っていうか、王権が弱くなったらすなわちあっという間に王朝が潰れて王様が後退するからなんだろうな。ぜんぶ想像だけど、だいたいこれであってんじゃないかな。
308922通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
※66
それまでの政権基盤クソ脆いからな戦争弱いつっても経済で圧倒してるし
基本戦争強い民族は政権維持力がゴミなので大成功してるといえる
戦争弱い弱い言われる宋にしても周辺民族より大分長持ちだしな、他は大抵後継でグダグダからの弱体コンボで崩壊してるし
308923通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
※77
漢代は封建制、第一日本だって古代は中央集権で近世以降はほぼ中央集権だ(徳川は表面上は
封建だが実態はほぼ中央集権みたいなもの)
封建制は分裂傾向の表徴であって特にそれ以上の意味は無い
封建制と近代化論は西洋中心史観のカビの生えた代物に過ぎない
308931通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
軍の扱いの問題でしょ
貴族のけんかに武士使ってたら、武士同士のけんかになり、貴族にはどうしようもなくなった
308934通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
※83
中国の場合はそこが崩れると大土地領有が進み、やがて

新興宗教の反乱→大規模な農民反乱→群雄割拠→新しい皇帝の誕生→土地改革

とここまでがセットだから。
すると100年くらいは安泰でそこからまたそこが崩れて大土地領有が進んで…
308984通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
日本史は難しい、何れにしても中国に学んだことは否定はしない。然し、政略まで学ばなくて幸せだと思うべきかもね。で、無ければ天皇制は既に滅んでいたかもしれない。
308990通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
中国だって秦の時代以来中央集権国家の筈だけど地方が強すぎて各地で分裂してただけやろ
中国の戦国時代や三国志の時代とかもある。
まあ十分に強力な権力や権威の無い国家しか作れなかったともいえるけどな
309148通りすがりの日本人 ▼このコメントへ返信
儒教を取り入れなかったので支那式の本物の中央集権国家は日本には成立していないのだ。

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